2015年3月25日水曜日

リー・クアンユー…巨星堕つ!

シンガポール建国の父、リー・クアンユーが亡くなった。

このリー・クアンユー…1996年に岩波書店の「現代アジアの肖像シリーズ」として発刊された「リー・クアンユー」を読んで以来、私にとってこの世界で最も尊敬すべき人間の一人であった。



彼のたどってきた軌跡は、文字通り奇跡である。
マレーシアとインドネシアという大国の狭間で、資源も資本もない状態から輝ける都市国家を成立させる…歴史上一人の人物が成したことでも最大のことの一つではないだろうか。

彼のたどってきた道のりは、この本の章立にも明らかに表れている。

イギリスによる植民地化と移民たち
分化するモザイク社会
アジア人? クィーンズ・チャイニーズ?
シンガポール帰属意識の高まり
日本軍政のインパクト
イギリス留学から独立運動へ
人民行動党政権の誕生-共産系グループとの死闘
マレー人と華人の対立
生存のための政治
「トータル・ディフェンス」-皆で国を守る
外資の力を借りた経済発展
成長の秘密-国家主導型開発
二つのタイプの労働者
エリートの人民行動党
「行政国家」を支える官僚
政治管理の手本?
模索する国民統合
リー・クアンユーの国家

人民行動党の結成から61年、長いことご苦労様と言うしかない。

また、首相を退任した後にはシンガポール政府投資公社(略してGIC。シンガポールの国民年金基金)の顧問相も務め、10兆円のファンドを20年間に渡り、平均利回り8.8%で運用している。
また、その際には、「いざとなれば、GICの運用で数百万人のシンガポール国民は私が食べさせる」との凄みのある言葉も残している。

明晰な頭脳からもたらされる透徹したプラグマティックな思考、
そしてそれを実行していく強烈な意志とリーダーシップ、
いついかなる時でも個人の感情より国益を優先させる志の高さ
…このような人がもし日本の首相をやっていたら、今の日本はどうなっていたのだろう?



心からご冥福をお祈りいたします。

2015年3月23日月曜日

祝!テニスランキングマッチ1位

人間何歳になっても成長期というものはあるもので、先月のルーキーズカップの優勝に続いて、スクール内のランキングマッチにおいても1位となってしまった。


今回のメンバーは5名)であり、その内2名は前回のランキングマッチでも当たり、それぞれ戦勝が1勝1敗で互角の相手であった。

ランキングを総当たり戦で行うのだが、
戦績は
1試合目:6-1
2試合目:5-2
3試合目:5-3
4試合目:6-1 
4戦全勝という完璧な勝利であった。
前回からわずか数か月、著しい成長!と言わなければなるまい。

もちろん、勝利には要因がある。それは自分には似つかわしくなく、「手堅く」テニスをしたことである。
中途半端なスピードのサーブを入れにいき、リターンも振り切ることなく返すことに専念し、相手の自滅を待つ…まさにジジイテニスに徹したのである。
これまでのスタイルは、勝つのも大切であるが、もっと大切なのは気持ち良く振り抜くことであり、試合の中でこれはというプレーがあればともかく満足!というものであった。
そういった意味で、爽快感あふれる勝利というわけにはいかないものの、まあ勝ちは勝ちであり、これは良しとしておこう。

しかし、収穫もあった。ドロップショットをマスターすることができたのである。高校生など体力があり余っている相手の場合には拾ってくるものの、相手がわしと同様の中年の場合、ドロップショットほど強力なものはない。気持ちは出ても、前には足が出ないのである。このドロップショットのコツを試合の合間にコーチから聞いて、すぐ試合に生かせるところが素晴らしい。自分を誉めてあげたい。

というわけで、気持ち良く会場を後にしたのだが、やはり良いことばかりは続かないものだ。
鼻歌を歌いながら、運転していたらミラーを擦ってしまった。

人間、謙虚が一番である。対戦相手の皆さん、お疲れ様でした。そしてありが豆ございました。


2015年3月14日土曜日

不覚!…インフルエンザ…巨大仏像の祟り?

先週の仙台出張後、何やらクシャミと咳が止まらないので、福山に戻って病院に行くと、何と!インフルエンザであった。まったくもって不覚である。まあ、流行遅れのA型ではなく、これから流行るとされているB型だったのが、まだマシといったところであろうか。
この罹患したタイミングも「まさか!ここで?」というものであり、会長をしている保護者会活動の年度末の主要行事3点セット、福山マラソンのハーフのすべてを欠席することとなった。

人によっては「最悪!」というタイミングであろうが、最近「少女パレアナ」を読んだばかりなので、このインフルエンザからも「喜びを探すゲーム」を自分でやってみた(読んだことのない人は、是非読んでみてください)。

喜び①:最初はクシャミと咳から「花粉症」ではと思ったが、インフルエンザで良かった。インフルなら数日で治る。
喜び②:保護者会への欠席も良かった。この2年間やってこれたのも、仲間が優秀で頼りがいがあるからであり、最後に表に出る機会が作れて良かった。
喜び③:福山マラソンも、直近で無理な減量をしていたため、走っていれば無理がたたって体調をくずしていたかもしれない。走れなくて良かった。
などなど、どんなことからも「良かった」という点を見つけることはできるものである。

といいつつも、今回インフルエンザに罹った理由はわかっているのである。
そのわけは、、、祟り(たたり)なのである。
何の祟りかといえば、仙台の巨大仏像の、である。

仙台出張で何が記憶に残ったかといえば、最後の講演でも、あのホヤでもなく、仙台市内に立っている巨大仏像である。
どのくらい巨大かといって、何しろ仙台空港から仙台に向かう高速の途中からもしっかり見えるくらいの大きさ。

資料を見ると、正式名称が「仙台大観音」で全長100m。日本で二番目に高いのだという(これより巨大な仏像があるというのも驚きだが)。
どうも今回の出張では、高速道路を走っている時からもこの超巨大仏像が目について仕方なかった。そして、得意先回りをした後、超巨大仏像のことばかり話すわしに気をつかってくれた担当の方が、「仏像、この近くですから少し近づいてみましょうか」と車をそこに向けてくれたのである。
その時の光景をわしはしばらく忘れられないであろう。
その想像をはるかに上回る巨大さ、シュールさにもう笑いに笑ってしまったのである。どのくらい笑ったかといえば、本当に文字通り腹を抱えて声高々に大笑いしてしまったのである。

何しろこんな感じで建物の間から顔を出すのである。驚き、笑うに決まっている。


ということで、今回のインフルエンザは、仏様観音様を大笑いしてしまった罰(ばち)が当たってしまったのだと思う。
いや、パレアナの喜びのゲームからすると、何かから助けてくれたのかもしれぬ。
ともあれ、次に仙台に行ったときには、この超巨大仏像にきっちり参り、中も観覧しなければならない。
仙台に行く楽しみがひとつできた。ありが豆である。


2015年3月1日日曜日

読みも読んだり…

世の中では確定申告の時期を迎えているが、わしの方も昨年一年間の読書量を確定させてみた。
というか、読み終わった本のタイトルをスケジュール帳に書いているのだが、新しいものに変わるので一年で何冊読んだのかを数えてみたのである。

1月…19冊
2月…11冊
3月…11冊
4月…7冊
5月…12冊
6月…12冊
7月…18冊
8月…11冊
9月…23冊
10月…21冊
11月…18冊
12月…4冊
合計167冊であった。

毎年こんな感じで本が積みあがっていくが。
(画像はイメージ)

結構読んでいる!というのが正直な感想であるが、毎年100冊超の本をコンスタントに読んでいる割には「頭の中身」がそう変わらないのは、そもそも脳のハードウエアに限界があるためであろうか。
もっとも哲学者のショウペンハウアーなどは、読書について以下のようなことを述べているから、無自覚な読書をすればするほど馬鹿になっていく可能性もある。

「読書とは他人にものを考えてもらうことである。1日を多読に費やす勤勉な人間はしだいに自分でものを考える力を失ってゆく」
「読書しているとき、私たちの頭は他人の思想が駆けめぐる運動場にすぎない。読書をやめて、他人の思想が私たちの頭から引き揚げていったら、いったい何が残るだろう。だからほとんど一日じゅう、おそろしくたくさん本を読んでいると、何も考えずに暇つぶしができて骨休めにはなるが、自分の頭で考える能力がしだいに失われてゆく。いつも馬に乗っていると、しまいに自分の足で歩けなくなってしまうのと同じだ」

と、ここまで引用して、これ以上読書の意義や効用について書き進めようとしないのは、やはり読書によって思考能力を奪われてきているせいかもしれないが、多読の副作用というものは既にあり、それは思考能力の低下ではなく、本棚の支え能力の低下により、またしても本棚の板が折れてしまったということである。

重ねていくと横板がもたなくなってしまう。
(画像はイメージ)

今後は脳力よりも本棚の強度に気をつけて読書をしていなければならない。