2009年1月18日日曜日

しゃっくりにご用心

あばら骨が折れるとどういうことが起こるか? 一番困ったのは動きが不自由になるということである。寝返りはできないし、そのため腰が痛んで夜中に何度も起きないといけない。もちろん、寝起きするにも痛みが伴う。トイレで尻を拭くのも大変だ。それ以前にトイレでズボンとパンツをずらすにも痛いし、パンツを引っ張り上げるのも痛い。しかし、これは途中から「そういうものだ」という覚悟というか、心の備えができるからまだ良い。困るのは不意に出てくる咳・くしゃみである。咳一発であばらに2,3分続くような鋭い痛みが襲ってくる。鼻がむずむずしてくしゃみなど出そうなものなら大変だ。何とか出ないようにコントロールしようとするが、意識を鼻に持っていこうとするとよけいにくしゃみが出そうになったりする。意識を逸らそうと呼吸を早めたりするが、最後は「はくしょーん」と出て、痛みで胸を抱えることとなる。
けれども、一番怖いのは「しゃっくり」であろう。咳・くしゃみは続いてもせいぜい2,3発。しかし、しゃっくりとなるとそうはいかない。連続して出るしゃっくりによるあばらの痛みの無間地獄に陥ってしまう。咳一発、くしゃみ一回であれだけ痛いのだ。しゃっくりの無間地獄の痛みとやらはいかほどのものだろうか。前の痛みがおさまる前に次の、そしてその次の、と次々に痛みの波が襲ってくるのだ。波の山と山が重なっていけば、これはもう痛みの津波。怒涛の痛みでこれはもう失神するのではなかろうかと、咳とくしゃみによる痛みの度心配していたが、幸いなことにしゃっくり地獄を体験することなく、あばらも治ってきつつある。
運が良かったのか、杞憂だったのかはわからぬが、はっきりしたことが一つ。
あばら骨は大切だということだ。皆さんもお気をつけあれ。

病院内での怪奇現象

病院というのは「病」と「死」が充満しているところである。考えてみると、わしの寝ているこのベッドで亡くなった人がいても不思議ではないのだ。そんなことを思うと少し気味悪い感じがしないでもない。
入院して三日目くらいだったろうか、深夜二時頃に何となく目覚めると(あばらが痛くて寝返りが打てず、眠りが浅くなってしまうので)、カーテンで仕切られた隣のベッドの辺りに何かの気配を感じる。しかし、今は誰もいないはずなのにと、起きて中を覗いてみるとそこには…特段怪しげなものがいたわけではないが、何故かテレビが点いていた。考えてみればかなりおかしいことである。ここのベッドの人は手術で夕方移動したはずである。しかし、この時はあまり気にせずにスイッチを切った。
そして、昨晩もふと二三時に目を覚ますと、天井に影のようなものが周期的に浮かび上がる。何だろうか。もしかしてこれは怪奇・心霊現象ではなかろうか。うひょーい。やったー。これって初めてでないの、この年になって見れるなんてラッキーというわけで蠢く影の原因を探ってやろうとベッドから起き出した。
その影は…切れかかった非常灯が瞬いていたためにできたものだった。
やはり、面白いことなどめったにあるわけではないのだ。しかし、あの無人のベッドの前で点いていた深夜のテレビは何だったのかという謎は残る。もしかして、同室の人のいたずらだろうか。いや、そんなことをするとしたらわしくらいだろう。謎は謎である。
病院はなかなかエキサイティング場所である。

2009年1月17日土曜日

理想的なさしいれ

得意先の社長さんと息子さんが漫画の差し入れをしてくれた。それもダンボール単位で、である。また、読めば次から次へと供給をしてくれる。ちょうど、読書にもすこし倦んでいたところなのでありがたかった。朝から夕方までむさぼるように読んで気がつくと4日間で152冊の漫画を読んでいた。漫画と言っても少しでもビジネスに役立つようにというわけで「島耕作シリーズ」、「監査役野崎修平」、「マネーの拳」などを入れていてくれたのだが、このような心遣いには感謝である。しかし、漫画の読み過ぎによる左手・左肩のコリがひどく、これはリハビリの先生にも指摘された。何事にも限度があるのである。
それにしても、三度のご飯をおいしくいただき、好きなだけ寝て、好きなときに起き、本・漫画をむさぼり読み、お見舞いでもらった菓子やら果物やらをたらふく食べ、頭髪は洗ってもらい…と、これでは不自由な入院生活ではなく、大名暮らしではないか。もはや痛みもさしてないため、入院と言ってもホテル住まいみたいなものである。
災い転じて…ではなく、自転車転倒して福となす。新年早々このような恵まれた状態のわし、今年も良い年である。

胸の痣

肋骨三本の骨折であるからして、やはり打撲も相当なものだ。胸の打撲の痕もほらご覧の通り。これにしても当初からすればかなり良くなっている。最初はそうでもなかったのだが、しばらくすると左の胸前面が紫色に、現在は黄色っぽくなっている。内出血の程度によって変化してくるのだ。もちろん、このような色合いだから腫れもひどい。右胸に比べるとかなり腫れている。これが良い曲線でもってふくらんでいるので、思わず触りたくなるが触ると肋骨に響くので変態的行為はしておらぬ。まあ、病室のベッドでパシャパシャと自分の胸を撮影している姿が変態的ではあるが。

2009年1月11日日曜日

病室のベッドから

ブッダは生老病死に向き合うことで出家の意思を固めたというが、その「病」が集うこの病院という空間は様々なことを考えさせてくれる。現在いるのは4人部屋だが、いろいろな人生模様が伺える。
斜め向かいのベッドのAさん(85歳)は両足の手術のため11月から入院しておられる。わしが入室した時からすぐに話しかけてくれ、いろいろなことを教えてくれる親切な人だ。Aさんは入院するときに、排泄もままならない奥さんの介護をどうするのかという問題に直面したようだ。結局は親戚に一時的に面倒をみてもらうということで解決した。自分が退院すれば(まだ3ヶ月先のようだが)、また奥さんの介護をされるようだ。しかし、良い家族親戚関係を構築されているのだろう、頻繁にお子さん、お孫さん、親戚の方が顔を出されている。
検査入院のため、二日だけわしのベッドの隣にいたBさん(推定年齢75歳)は経済的な問題を抱えていたようだ。治療費をさかんに気にし、「国民年金暮らしのわしに医療費7万、8万言われりゃあしんどいわい。これで年に何度も入院しよったらわしら、もう破産じゃけえ」とだみ声で先生に訴えていた。実際に治療に使う薬剤のどれが高いのかも確認していた。治療を受けるのも財布と相談なのだ。
向かいのベッドに一日だけいたCさん(推定年齢80歳)は、自分ではもう排泄のタイミングもわからなくなっていた。家族が付いて来ていたが、Cさんに対する態度は明らかに邪険なものだった。家での介護などでストレスも極まっていたのかもしれないと見受けられた。結局は糞便を垂れ流し状態のため、他の患者に迷惑がかかるということで個室に移された。
その後に入ってきたDさん(推定年齢85歳)は耳が遠いわりに自己主張が強い。目が痛くなるから部屋の蛍光灯を消してくれと言ったかと思うと、手元の白熱灯は点けたりする。読むところはあまり見ていないが枕下には「漱石全集」「司馬遼太郎 アジアの中の日本」などの本が置いてあるので元々はインテリかもしれない。しかし、この人に家族、あるいは見舞いが来るのを一度も見ていない。
その他、突然呼吸が停止して緊急治療を受けた老人もいた(この方は助かったようだ)。
休憩室に行くと、老婆二人がお互いの嫁の悪口を言い合っていたりする。このように病院というところは、超高齢化のため「病」に加えて「老」の在り様も見ることができるのだ。
わしのように、追加費用も気にせず「一番高い部屋にしてくれ」と言えるのは言えるのだが、閉所感覚が嫌だという理由で相部屋におり、若くて動きもよく、毎日妻と子供が見舞いに来て頭を洗ってくれ、好きなだけ本を読み、消灯時間は守らず、おやつやジュースは食べ放題飲み放題で、看護婦さんには軽口ばかり叩き、夜にはセクシャルナースサービスも受け(これはないか。残念)というのは異質な存在なのだ。
しかし、今日まで十四日間の入院生活でいろいろなことを感じたこと、考えたことは確かだ。痛みはあったが、たまに日常という膜が破れるのは良いものだ。ここから何かをつかんで退院したいものだ。

ホジュン

入院して良かったことは誰にも邪魔されず韓国ドラマ「ホジュン」をこころゆくまで堪能できたことであろう。
もちろん入院して最初の数日は朝から晩まで読書三昧であった。
読んだ本はといえば
竹森俊平著「資本主義は嫌いですか」→難しくて理解できたとは言い難い。
ビョルン・ロンボルグ著「環境問題をあおってはいけない-地球環境のホントの実態」→分厚い本だが目からうろこ本だった。
ビエトラ・リボリ著「あなたのTシャツはどこから来たのか?-誰も書かなかったグローバリゼーションの真実」→付箋紙いっぱいでこれも目からうろこ本。
エリヤフ・ゴールドラット著「ザ・チョイス-複雑さに惑わされるな!」→そうか、経営的な打ち手っていっぱいあるやんという意味でやはり目からうろこ本。
副島隆彦・佐藤優共著「暴走する国家 恐慌化する世界」→異才偉才の二人の共著。面白かった。
山口揚平著「デューデリジェンスのプロが教える企業分析力養成講座」→前著の方がわかりやすかったかも、理論と実例がつながりにくい印象を受けた。
小室直樹著「硫黄島栗林忠道大将の教訓」(再読)→たまに猛烈に読み返したくなる。
など、これまで本棚に「積ん読」になっていた本であり、これはこれで知的好奇心も満たされ大いに満足すべき時間であったが、さすがに活字ばかり追っていると疲れてくる。
そんな時に待望のポータブルDVDプレーヤーとホジュン全64話のDVDが届いたのだ。ホジュンとは何か?以下、韓国ドラマ「ホジュン」公式サイトからの引用だ。
ドラマ「ホジュン」は、朝鮮時代に実在した医師ホジュンの波乱万丈の人生と人間愛にあふれた生きざまを、躍動感あふれるスピーディーな展開と史実に基づく骨太の物語構成、そして想像力あふれるドラマチックなストーリーで描き出した大河ドラマの名作である。

自らの運命を悲観し、密貿易に手を染めるならず者だった彼が、生涯の師となるユ・ウィテとの運命的な出会いを経て生涯の目標を見つけ出し、身分制のくびきを克服して正一品の地位まで昇りつめ、さらには中国や日本にも伝えられ、東洋医学に大きな影響を与えた朝鮮医学の集大成「東医宝鑑」25巻を著すまでの物語は、たんなるサクセスストーリーにとどまらない数多くのドラマを含んでいる。

韓国では1999年に放送され、大河ドラマ史上初めて60%の視聴率を記録し、現在でも歴代視聴率4位に君臨する国民ドラマである。放送当時は「ホジュン シンドローム」と呼ばれる社会現象まで巻き起こし、ドラマのメインテーマである漢医学の人気が高まり、大学の漢医学科の競争率が急上昇するなど、数々の逸話を残した。「朝鮮王朝500年」「商道」「チャングムの誓い」など数々の名作を世に送り出した演出家イ・ビョンフンの作品の中でも、いまなお人気ドラマの筆頭に挙げられる。

数年前、商談で大阪のコリアンタウンにある会社を訪れた時、そこの重役がわしに言ったのが「チャングムの誓いも面白いけど、それならホジュンも観なければな。面白さはチャングム以上だよ」だった。すぐに調べてもその時は日本語版のDVDなどもなく、そのままになっていたのだ。ちなみにこの重役はこの後、次週にひかえていたチャングムの誓いの最終回で主人公がどうなるかまで教えてくれるという、超ありがた迷惑の人であった。
そんないわくつきのホジュンであったが噂にたがわずやはり面白い。朝起きて観て朝ご飯を食べて観て昼ご飯まで観て昼ご飯を食べて観て晩ご飯まで観て晩ご飯を食べてから観て消灯時間の10時まで観て更には看護婦さんが懐中電灯を持って見回りに来る12時まで観てという状態で4日ばかりで観てしまった。中断したのは食事、トイレ、回診、レントゲン撮影、検診、お見舞いの対応の時くらいだろう。こんな観方は入院でもしていなければ不可能であったろう。64話ということは64時間ということだから、完全にホジュン漬けである。確かにこの期間はベッドの上にいた記憶があまりない。ホジュンの世界に完全没入していたのだろう。贅沢な時間だったと満足している。
しかし、毎日十数時間同じドラマを見続けるなど我ながらアホパワー炸裂です。まあ、このアホパワーのおかげで良い歳してMTB林道爆走大転倒鎖骨肋骨骨折年末年始入院になったのだから仕方ないか。


あばらの痛み

あばら骨の骨折というのは固定しようがないため、結構長いこと痛みがあるらしい。ましてや、骨折直後についてはあばらの痛みではつらい思いをした。少し体を動かしただけで刺すような痛みがあるのだ。特に寝起きする時には注意が必要だ。もちろん病室のベッドは電動なのだが、この角度の調整が難しい。完全にフラットにすると胸が圧迫されるせいか、かなりの痛みが襲ってくる。そのため、角度を2°刻み(これがベッドの精度なのだ)で調整していくのだが12°まではOKだが、10°で激痛などということが起こる。ならばというので、少し体を横向き加減にしたうえで14°、いやいやあまり傾け過ぎると寝ている間に体が滑るので12°、10°、これはいけるぞ、もう少し8°でどうだ…痛い。というように寝るにも大体30分は良いポジションを探すことが必要だ。しかし、本当に大変なのは起きる方だ。不用意にベッドを起こしてしまうと悶絶級の痛みが走ることがある。10°起こしては一休み、また10°進んだら一休みと慎重には慎重を期す必要があるのだ。にも関わらず、最後の2°で激痛が来ることもあるから油断はできない。時には激痛のさなか、角度を下げても痛い、上げても痛いという状況に追い込まれ、痛みでうんうん言いながらもどちらにもいけずに進退窮まったりすることもある。傍から見れば「何やってるの?」ってなもんだろうが、本人は真剣なのだ。かくのごとく、毎日の寝起きはスリリングな時間なのである。
そんなわけなので横たわって撮るレントゲンやCTスキャンなどは大変な問題だ。それこそ、横たわるにも起き上がるにもナメクジの歩みのような速度で体を動かしていかなければならぬ。手助けしてもらうと、余計に痛かったりするからこれは全て自分で解決しなければならない問題だ。
生まれてこのかた、このような微細なレベルで体をコントロールしたことはない。何しろ体内のあばらの一本一本に意識をやるのだ。この微細な感覚をアレにも応用できたらより深いレベルでの楽しみが味わえるとも思うが、それは怪我を治してからのテーマであろう。

MTB大転倒の顛末

いやはや、やってもうた。年末28日の走り納め。大谷山林道の下りで大転倒。結果、鎖骨の粉砕骨折(5つの破片になっていた!)に鎖骨3本骨折の重傷であった。
※全治1ヶ月以上の入院治療を必要とするような怪我
もちろん、即入院である。入院に至るまでの顛末を以下に記す。


ここからの記録は入院中に左手が使えないために大学ノートに入院の記録を綴ったものから転記したものである。

折角の機会だ。今回の怪我のことを記録に残しておかなければならない。集合は中銀の前に9時。メンバーはよっしー、カズちゃん、そしてわし。10時に赤池のゴルフ練習場でアカマンとその友人、トモちゃんが合流。久し振りの自転車で上りがきつく、わしの後ろにはカズちゃんのみという状況で上っていく。林道に入り、峠の少し手前で走り納めのため持参していたキリンのストロングセブンで乾杯。天気も良く最高の気分だった。
ダートの下り始めすぐの時点で事故は発生した。先行したアカマンを抜き、そのまま「よっしー、抜くよ」と声をかけて右端からかわそうとした瞬間、つたで右ハンドルをとられ、バランスをくずして地面に激突。皆が驚いてかけてきた。ヘルメットには3ヶ所亀裂が走っており、視界も白く濁っていた。これは脳震盪のためだろう。心配したよっしーが手は上がりますかと言ってきたが、この時点では上がったのだ。後から考えると不思議だが、この時はドーパミンやらエンドルフィンやら脳内麻薬がばしばし出て痛みも消えておったのだろう。その後視界の濁りがなくなるのを待ってスタートしたが、この時には皆に余り心配させてはいけないという意識が強かった。転倒したのがほぼ頂上付近だということもあり、長い下りを痛みをこらえながら休み休み下る。降りた地点でアカマン達と別れ、上りにかかるが左肩の痛みで力が入らない。ここで妻に迎えの電話をかけた。よっしーに頂上まで自転車を押してもらい、そこからは自力で下り、何とか二号線沿いの福山西警察署までたどり着く。そこで迎えに来てくれた妻と落ち合う。
日曜日でも開いている病院ということで○○病院に二時半に来るが、運の良いことに担当してくれた先生は同級生のお父さんでしかも腕が良いという。先生が鎖骨を触るなり、「折れていますね」とのこと。レントゲンを撮り、結果は鎖骨とあばら骨3、4本骨折の重傷で即入院。しかも、手術が必要という言葉に意識が遠のき気絶しそうになる。やはりわし、気は小さいみたいだ。しばらく休んでストレッチャーで病室へ。妻も急いで入院支度。夕方再び、今度は子供たちを連れて来るが、この後6歳の息子はショックのためか、帰りの車の中から泣きじゃくり、夕食が食べられなかったらしい。8歳の次女もご飯がのどを通らなかったという。
怪我は痛い。しかもよりによって年末年始の時期に入院とは、とほほ。
しかし、こうなったからにはこの年末年始にかけて、そして約1ヶ月以上に渡る入院生活をプラスに生かさねばという気持ちがある。本も沢山読めるだろうし、英語の勉強もしたい。このようなポジティブさは素晴らしいと思うし、不思議なことにけがしたことへの後悔もない。これは精神的な成長の証と言って良いだろう。
肩周りにソフトコルセットをした状態で寝るが、姿勢を変えられないためか腰の痛みがひどく、また時折あばらが刺すように痛むため、よく眠られなかった。

以下、転倒直後の後ろ姿だがやはり左肩が下がっている。これで何にもないってことはないよな。