※全治1ヶ月以上の入院治療を必要とするような怪我
もちろん、即入院である。入院に至るまでの顛末を以下に記す。
ここからの記録は入院中に左手が使えないために大学ノートに入院の記録を綴ったものから転記したものである。
折角の機会だ。今回の怪我のことを記録に残しておかなければならない。集合は中銀の前に9時。メンバーはよっしー、カズちゃん、そしてわし。10時に赤池のゴルフ練習場でアカマンとその友人、トモちゃんが合流。久し振りの自転車で上りがきつく、わしの後ろにはカズちゃんのみという状況で上っていく。林道に入り、峠の少し手前で走り納めのため持参していたキリンのストロングセブンで乾杯。天気も良く最高の気分だった。
ダートの下り始めすぐの時点で事故は発生した。先行したアカマンを抜き、そのまま「よっしー、抜くよ」と声をかけて右端からかわそうとした瞬間、つたで右ハンドルをとられ、バランスをくずして地面に激突。皆が驚いてかけてきた。ヘルメットには3ヶ所亀裂が走っており、視界も白く濁っていた。これは脳震盪のためだろう。心配したよっしーが手は上がりますかと言ってきたが、この時点では上がったのだ。後から考えると不思議だが、この時はドーパミンやらエンドルフィンやら脳内麻薬がばしばし出て痛みも消えておったのだろう。その後視界の濁りがなくなるのを待ってスタートしたが、この時には皆に余り心配させてはいけないという意識が強かった。転倒したのがほぼ頂上付近だということもあり、長い下りを痛みをこらえながら休み休み下る。降りた地点でアカマン達と別れ、上りにかかるが左肩の痛みで力が入らない。ここで妻に迎えの電話をかけた。よっしーに頂上まで自転車を押してもらい、そこからは自力で下り、何とか二号線沿いの福山西警察署までたどり着く。そこで迎えに来てくれた妻と落ち合う。
日曜日でも開いている病院ということで○○病院に二時半に来るが、運の良いことに担当してくれた先生は同級生のお父さんでしかも腕が良いという。先生が鎖骨を触るなり、「折れていますね」とのこと。レントゲンを撮り、結果は鎖骨とあばら骨3、4本骨折の重傷で即入院。しかも、手術が必要という言葉に意識が遠のき気絶しそうになる。やはりわし、気は小さいみたいだ。しばらく休んでストレッチャーで病室へ。妻も急いで入院支度。夕方再び、今度は子供たちを連れて来るが、この後6歳の息子はショックのためか、帰りの車の中から泣きじゃくり、夕食が食べられなかったらしい。8歳の次女もご飯がのどを通らなかったという。
怪我は痛い。しかもよりによって年末年始の時期に入院とは、とほほ。
しかし、こうなったからにはこの年末年始にかけて、そして約1ヶ月以上に渡る入院生活をプラスに生かさねばという気持ちがある。本も沢山読めるだろうし、英語の勉強もしたい。このようなポジティブさは素晴らしいと思うし、不思議なことにけがしたことへの後悔もない。これは精神的な成長の証と言って良いだろう。
肩周りにソフトコルセットをした状態で寝るが、姿勢を変えられないためか腰の痛みがひどく、また時折あばらが刺すように痛むため、よく眠られなかった。
以下、転倒直後の後ろ姿だがやはり左肩が下がっている。これで何にもないってことはないよな。
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