2010年4月24日土曜日

井上ひさし死す

小説「吉里吉里人」やNHKの連続人形劇「ひょっこりひょうたん島」の台本のほか、戯曲やエッセーなど多彩な分野で活躍した作家の井上ひさし(いのうえ・ひさし、本名・●=ひさし)さんが9日夜、死去した。75歳だった。葬儀・告別式は近親者で行い、後日お別れの会を開く予定。
家族によると、昨年10月末に肺がんと診断され、11月から抗がん剤治療を受けていたという。
井上さんは昭和9年、山形県生まれ。上智大在学中から浅草のストリップ劇場「フランス座」文芸部に所属し、台本を書き始めた。39年からは、5年間続いた「ひょっこりひょうたん島」の台本を童話、放送作家の山元護久とともに執筆、一躍人気を集めた。
44年、戯曲「日本人のへそ」を発表して演劇界デビュー。47年に「道元の冒険」で岸田戯曲賞を受賞して、劇作家としての地位を確立した。奇想と批判精神に満ちた喜劇や評伝劇などで劇場をわかせ、59年には自身の戯曲のみを上演する劇団「こまつ座」の旗揚げ公演を行った。
小説家としても、47年に江戸戯作者群像を軽妙なタッチで描いた小説「手鎖心中」で直木賞を受賞。絶妙な言葉遊び、ユーモアたっぷりの作風で多くの読者に支持され、エッセーの名手としても知られた。自他ともに認める遅筆で、台本が間に合わず公演が延期となることなどから、「遅筆堂」と自称していた。
一方、戦争責任問題を創作のテーマに掲げ、東京裁判や原爆を主題にした作品も数多く発表。平成15年から19年にかけて日本ペンクラブ会長を務め、16年には護憲を訴える「九条の会」を作家の大江健三郎さんらとともに設立した。
戯曲「しみじみ日本・乃木大将」「小林一茶」で紀伊國屋演劇賞と読売文学賞(戯曲部門)、「吉里吉里人」で日本SF大賞、読売文学賞(小説部門)。小説「腹鼓記」「不忠臣蔵」で吉川英治文学賞、「東京セブンローズ」で菊池寛賞など受賞多数。16年に文化功労者、21年に日本芸術院会員に選ばれた。





この情報をニュースで見た妻がすぐに風呂に入っていた私に教えてくれた。
中学3年生のときに「吉里吉里人」を読んで以来、高校、大学と出版されていたほとんどの本を読んでいるし、深く影響を受けた作家の一人だ。
高校の時に再読した「吉里吉里人」は、再び私の心に強烈な影響を与え、ギリギリになって理系から文系に転向するきっかけともなった。また、左翼的な正義感を強く持つようになったのも(今はそんなことはないが)、井上ひさしの影響が強い。
今でも年間100冊程度の本を読んでいるが、「本を読むという面白さ」を教えてくれた恩人でもある。
そんなことを考えていたら、少し目がかすんできた。


「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく、おもしろいことをまじめに、まじめなことをゆかいに、ゆかいなことをいっそうゆかいに」
ともすれば、この逆になりそうだけど、井上ひさしから教えてもらったことは今でも、これからも私の宝である。


心から冥福をお祈りいたします。



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