というか、読み終わった本のタイトルをスケジュール帳に書いているのだが、新しいものに変わるので一年で何冊読んだのかを数えてみたのである。
1月…19冊
2月…11冊
3月…11冊
4月…7冊
5月…12冊
6月…12冊
7月…18冊
8月…11冊
9月…23冊
10月…21冊
11月…18冊
12月…4冊
合計167冊であった。
毎年こんな感じで本が積みあがっていくが。
(画像はイメージ)
結構読んでいる!というのが正直な感想であるが、毎年100冊超の本をコンスタントに読んでいる割には「頭の中身」がそう変わらないのは、そもそも脳のハードウエアに限界があるためであろうか。
もっとも哲学者のショウペンハウアーなどは、読書について以下のようなことを述べているから、無自覚な読書をすればするほど馬鹿になっていく可能性もある。
「読書とは他人にものを考えてもらうことである。1日を多読に費やす勤勉な人間はしだいに自分でものを考える力を失ってゆく」
「読書しているとき、私たちの頭は他人の思想が駆けめぐる運動場にすぎない。読書をやめて、他人の思想が私たちの頭から引き揚げていったら、いったい何が残るだろう。だからほとんど一日じゅう、おそろしくたくさん本を読んでいると、何も考えずに暇つぶしができて骨休めにはなるが、自分の頭で考える能力がしだいに失われてゆく。いつも馬に乗っていると、しまいに自分の足で歩けなくなってしまうのと同じだ」
と、ここまで引用して、これ以上読書の意義や効用について書き進めようとしないのは、やはり読書によって思考能力を奪われてきているせいかもしれないが、多読の副作用というものは既にあり、それは思考能力の低下ではなく、本棚の支え能力の低下により、またしても本棚の板が折れてしまったということである。
重ねていくと横板がもたなくなってしまう。
(画像はイメージ)
今後は脳力よりも本棚の強度に気をつけて読書をしていなければならない。
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