2009年12月31日木曜日
2009年12月24日木曜日
通販事業の伸び
今日、通販ビジネスのアドバイスを頼んでいるI氏が東京から来社。あらためてこの半年(6月~11月、弊社は6月が期首なので)を振り返ってみると、通販の売上げが昨年のちょうど2倍になっている。このご時世におかげさまでありがたいことである。来年はこれを更に2倍にしてみたい。
中国語が堪能なI氏は最近中国への通販の進出もサポートし始めている。日本企業の中国への進出も第一期の工場の移転から、今はマーケットを求めての進出という第二期に移行している。ただ、日本での通販ビジネスがたどってきた過程が同時に存在する中国の通販事情では、日本の事例をそのまま持ち込んでも成功はおぼつかない。日本の最先端事例を持ち込まないとアドバンテージもないようだ。もはや、「日本を成長軌跡をたどっている」という中国像は通用しないのだ。
私も、昨年までは「海外進出」を旗印にして、昨年末には香港へコンテナでの輸出も実現させたが、契約した時と決済する時のレートで15%も円高に振れたのだから、これにはびっくりした。この後、為替も円高基調が続きそうだということで泣く泣く「海外進出」の優先順位を下げたのだが、これは正しかった。
まだまだ国内ですべきことがある。芥子粒のごとき我が社からすると、日本国内のマーケットにも広大なニッチがいくらでも存在するのだ。
大好きな海外には後で行くとしよう、そう考えている昨今である。
中国語が堪能なI氏は最近中国への通販の進出もサポートし始めている。日本企業の中国への進出も第一期の工場の移転から、今はマーケットを求めての進出という第二期に移行している。ただ、日本での通販ビジネスがたどってきた過程が同時に存在する中国の通販事情では、日本の事例をそのまま持ち込んでも成功はおぼつかない。日本の最先端事例を持ち込まないとアドバンテージもないようだ。もはや、「日本を成長軌跡をたどっている」という中国像は通用しないのだ。
私も、昨年までは「海外進出」を旗印にして、昨年末には香港へコンテナでの輸出も実現させたが、契約した時と決済する時のレートで15%も円高に振れたのだから、これにはびっくりした。この後、為替も円高基調が続きそうだということで泣く泣く「海外進出」の優先順位を下げたのだが、これは正しかった。
まだまだ国内ですべきことがある。芥子粒のごとき我が社からすると、日本国内のマーケットにも広大なニッチがいくらでも存在するのだ。
大好きな海外には後で行くとしよう、そう考えている昨今である。
2009年12月19日土曜日
今年の投資成績
今年の投資成績は今のところ、4億9120万ドブラの儲け(金額が僅少で恥ずかしいので、アフリカのサントメ・プリンシペの通貨単位に変換しています)である。中国株で半分、残りは主に後半の空売りで稼いだ。しかし、悔しいのは日経株価が7000円になったあの恐怖の3月に買いに入れなかったことである。去年のリーマンショックの時の2億5861万クワチャの大損(クワチャはザンビアの通貨単位)が頭にあってまだまだ底なしなのではと及び腰になっている間に買い時を失ってしまってしまったのだ。
やはり投資というものは難しい。投資の格言に「野も山もみな一面に弱気なら、阿呆になりて米を買うべし」というのがあるが、これができれば練達の投資家だろう。なかなか「どこまで下がるのか底が見えない」という状況下で積極的に買いには回れない。自分の中の恐怖心に勝つためには、自分なりの投資観が確立されていなければならず、まだまだ拙者には遠い道のりだ。
とはいえ、投資は言わば趣味。トータルで損していなければいいのだ。
損していなければ、投資ほど勉強になるものもない。自分のお金をリスクにさらすのだから、経済に対する勉強にも身が入る。買った株は下がるわ、売った株は上がるわで、思うようにならないことに対して忍耐力が身に付く。さらに上に書いたような状況で皆と逆に買いに(あるいは売りに)回るのはとてつもない精神力が必要だ。精神鍛錬にもってこいだ。
てなわけで、来年も精神修養に励むつもりである。
やはり投資というものは難しい。投資の格言に「野も山もみな一面に弱気なら、阿呆になりて米を買うべし」というのがあるが、これができれば練達の投資家だろう。なかなか「どこまで下がるのか底が見えない」という状況下で積極的に買いには回れない。自分の中の恐怖心に勝つためには、自分なりの投資観が確立されていなければならず、まだまだ拙者には遠い道のりだ。
とはいえ、投資は言わば趣味。トータルで損していなければいいのだ。
損していなければ、投資ほど勉強になるものもない。自分のお金をリスクにさらすのだから、経済に対する勉強にも身が入る。買った株は下がるわ、売った株は上がるわで、思うようにならないことに対して忍耐力が身に付く。さらに上に書いたような状況で皆と逆に買いに(あるいは売りに)回るのはとてつもない精神力が必要だ。精神鍛錬にもってこいだ。
てなわけで、来年も精神修養に励むつもりである。
2009年12月7日月曜日
賭けに勝った!
当社の常務と二ヶ月で5キロ痩せられるか?という賭けをしていたが、11月末で無事に勝利。掛け金は5万円だったから、最後はもう必死であった。
最初は楽勝だと油断しておったから、ビールは普通に飲むわ、ご飯は普通に食べるわ、運動も全くしないわで10月はほとんど体重に変化なし。
11月中旬から尻に火がつき、朝5時起きでローラー台にロードをセットしてビデオを観ながら1時間、仕事が終わった後にも更に同じように1時間の計2時間以上をほぼ毎日、更には夕食は炭水化物なし、ビールも週に二回以下…これで賭けのスタート時に72キロだった体重は最終日に66.8キロまで減少。ウエストは数センチ小さくなるわ、あごの形が丸から三角になるわでようやく人間らしい体型に近づいてきた。
するとどうだろう、会社内でも事務所から工場に行く際には気がつくと走っている。身が軽いのだ。それはそうだろう、5キロといえば今のよっしーの子供と同じくらいの重さではないだろうか。子供1人分減れば、体の負荷もかなりなくなる。
これから今度は少し時間をかけて63キロまで落としていこう。
誰かわしと賭けをしないか?
最初は楽勝だと油断しておったから、ビールは普通に飲むわ、ご飯は普通に食べるわ、運動も全くしないわで10月はほとんど体重に変化なし。
11月中旬から尻に火がつき、朝5時起きでローラー台にロードをセットしてビデオを観ながら1時間、仕事が終わった後にも更に同じように1時間の計2時間以上をほぼ毎日、更には夕食は炭水化物なし、ビールも週に二回以下…これで賭けのスタート時に72キロだった体重は最終日に66.8キロまで減少。ウエストは数センチ小さくなるわ、あごの形が丸から三角になるわでようやく人間らしい体型に近づいてきた。
するとどうだろう、会社内でも事務所から工場に行く際には気がつくと走っている。身が軽いのだ。それはそうだろう、5キロといえば今のよっしーの子供と同じくらいの重さではないだろうか。子供1人分減れば、体の負荷もかなりなくなる。
これから今度は少し時間をかけて63キロまで落としていこう。
誰かわしと賭けをしないか?
2009年10月12日月曜日
スポーツ雪合戦
昨日、子どもを連れてメモリアルパークに行くと、広島県雪合戦連盟福山支部がスポーツ雪合戦の普及活動をしていた。もちろん、こういったものは大好きなのですぐ参加だ。雪合戦とはいえ、今は雪がないので、紙を丸めたものを代わりに使う。各チーム7名ずつで始めるのだが、これが滅法面白い。まず真ん中の障害物を確保、味方から玉が供給され、スナイパーのごとく敵を一人一人撃破していく。わし、こういった戦闘系大好きなのだ。更に投げるのも、よけるのも得意だもんね。というわけで、大活躍したのだった。終わったあとには、障害物の後ろで中腰になりながら戦ったせいか、ももが筋肉痛。しかし、爽快感が素晴らしかった。やはり、わし「戦い」が好きなのだ。
2009年9月12日土曜日
わしの腹の中を見てくれ!
世間の経済動向如何に関わらず、おかげさまで忙しく仕事をさせていただいている。
そのため、定期診断で「便潜血」が認められたのに精密検査に行けなかったが、とうとう先日大腸の内視鏡検査に行ってきた。前の日の仕事が忙しく、夕食を食べそびれたのが良かったのか、2リットルの溶液(これを30分間隔で500ccずつ飲んでいく。出された液にヒロヒロとしたにごりがなくなったら検査可能だ)を1.5リットル飲んだ時点でOKが出て、更に運の良いことに検査する先生がタイミング良く空いていたのでそのまま検査。腹を膨らませられる感覚には違和感を感じたが、さほどの痛みもなく、検査が終了。この時点で11時半。朝8時半から夕方までかかると聞いていたので、予想外の早さに驚く。この病院始まって以来の上がりの早さでなかろうかと勝手に自画自賛であるが、ともあれポリープも何もなかったのは幸いだ。
それにしても、検査医と看護婦さんが検査中にしていた会話が気になった。
検査医「そういえばモベですることになったんだって、あのオペ」
看護婦「モベ…モベって本当?(かなり意外な感じ)」
検査医「おれもモベなんて予想外だったけど、仕方ないよな。執刀医が決めたんだから」
看護婦「けれど、立ち会う私たちの立場も考えてほしいわよね。モベだと大変なんだから」
検査医「そうだよな、モベだと出血もひどいし、何考えてるのっていう感じだよな」
看護婦「ほんとよ。モベって信じられない」
えっ、モベって何?と想像力で頭がぐるぐる回っている間に検査が終わり、モベをされる患者さんには悪いがモベには感謝だ。それにしても、検査中にこんなに会話していて良いのだろうか。まあ、これも緊張感のない「腹の中」だったということだろう。
まあ、それはさておき、わしの周りの人たちに開陳しておく、わしの腹の中。何ときれいなピンク色。腹黒とはほど遠いきれいな腹だ。これでわしの清廉潔白な人格が腹の底から納得できたであろう。
そのため、定期診断で「便潜血」が認められたのに精密検査に行けなかったが、とうとう先日大腸の内視鏡検査に行ってきた。前の日の仕事が忙しく、夕食を食べそびれたのが良かったのか、2リットルの溶液(これを30分間隔で500ccずつ飲んでいく。出された液にヒロヒロとしたにごりがなくなったら検査可能だ)を1.5リットル飲んだ時点でOKが出て、更に運の良いことに検査する先生がタイミング良く空いていたのでそのまま検査。腹を膨らませられる感覚には違和感を感じたが、さほどの痛みもなく、検査が終了。この時点で11時半。朝8時半から夕方までかかると聞いていたので、予想外の早さに驚く。この病院始まって以来の上がりの早さでなかろうかと勝手に自画自賛であるが、ともあれポリープも何もなかったのは幸いだ。
それにしても、検査医と看護婦さんが検査中にしていた会話が気になった。
検査医「そういえばモベですることになったんだって、あのオペ」
看護婦「モベ…モベって本当?(かなり意外な感じ)」
検査医「おれもモベなんて予想外だったけど、仕方ないよな。執刀医が決めたんだから」
看護婦「けれど、立ち会う私たちの立場も考えてほしいわよね。モベだと大変なんだから」
検査医「そうだよな、モベだと出血もひどいし、何考えてるのっていう感じだよな」
看護婦「ほんとよ。モベって信じられない」
えっ、モベって何?と想像力で頭がぐるぐる回っている間に検査が終わり、モベをされる患者さんには悪いがモベには感謝だ。それにしても、検査中にこんなに会話していて良いのだろうか。まあ、これも緊張感のない「腹の中」だったということだろう。
まあ、それはさておき、わしの周りの人たちに開陳しておく、わしの腹の中。何ときれいなピンク色。腹黒とはほど遠いきれいな腹だ。これでわしの清廉潔白な人格が腹の底から納得できたであろう。
2009年8月16日日曜日
久里浜式アルコール依存症テスト
先日の脳検査の時に、先生から「毎日1.5ℓもビール飲むんかい? そりゃあ、飲みすぎだな」と大袈裟に言われたこともあり、本格的に減ビールに取り組むこととした。
それに先立ち、ネットでアルコールについて調べていたら、久里浜式アルコール依存症テストがあったのでやってみると…
久里浜式アルコール依存症テスト
最近6ヶ月の間に次のようなことがありましたか?1.酒が原因で、大切な人(家族や友人)との人間関係にひびがはいったことがある。
→最近に限って言えば、あてはまらない。最近は「良い酒」が多いが、昔はこれで人間関係を悪くすることも多かったよな。
2.せめて今日だけは酒を飲むまいと思ってもつい飲んでしまうことが多い。
→あてはまる。これは完全にあてはまる。毎日それで大酒を飲んでいるのだからな。
3.周囲の人(家族や友人上司など)から大酒飲みと非難されたことがある。
→ある。いつも家族から「今日もビールの飲み過ぎで酔っ払っている」と言われています。
4.適量でやめようと思っても、つい酔いつぶれるまで飲んでしまう。
→あてはまる。毎日一本と決めていても、限界まで飲んでしまうよな。
5.酒を飲んだ翌朝に前夜のことをところどころ思い出せない。
→あてはまる。子どもからも「えっ? 覚えていないの?」と言われることがよくある。
6.休日にはほとんどいつも朝から飲む。
→あてはまらない。これはさすがにない。
7.二日酔いで仕事を休んだり、大事な約束を守らなかったりしたことがときどきある。
→あてはまらない。これだと完全にアル中だよな。
8.糖尿病、肝臓病または心臓病と診断されたり、その治療を受けたことがある。
→ない。しかし、このままでは痛風にはなるかもしれない。
9.酒がきれたときに汗が出たり手がふるえたり、いらいらや不眠など苦しいことがある。
→ない。ピンクの象も、小人の大名行列も見たことがない。一度は見てみたい気もするが。
10.商売や仕事上に必要で飲む。
→ない。うちは接待の全くない会社なのだ。
11.酒を飲まないと寝つけないことが多い。
→あてはまる。というか、飲まないと寝るまで頭が冴えていて疲れるのだ。
12.ほとんど毎日3合以上の晩しゃく(ウイスキーなら1/4本以上、ビールなら大瓶3本以上)をしている。
→あてはまる。毎日1.5リッターなのだ。
13.酒の上の失敗で警察のやっかいになったことがある。
→ない。しかし、数年前には貨物列車を止めたことがある。また警察に追いかけられて、かろうじて逃げ切ったこともある。
14.酔うといつも怒りっぽくなる。
→あてはまらない。昔は怒りっぽくなるわ理屈っぽくなるわ愚痴っぽくなるわで最低だったが、今は良い酒が多い。
これで判定結果を出すと、8.5点で「あなたにはアルコール依存症の治療が必要です」と出てきおった!何と!わし、アルコール依存症らしい。というわけで、面白い展開になってきたので、早速アレン・カーの「禁酒セラピー」という本を買ってきて読むこととした。わしの場合、何でも本から入るのである。
2009年8月5日水曜日
2009年8月2日日曜日
セミの羽化
小学校一年の息子が羽化する前のセミをつかまえてきた。よく見つけたなと言うと、歩いていたら視界に飛び込んできたのだという。四十年余り生きてきたが、わしも直に見るのは初めてだ。
この息子は動物に関する感覚が大変鋭い。今回のようによく虫を捕まえるし、時には街中にも関わらず、クワガタが飛んできて服にとまったりする。虫だけではなく、女性にも人気のようで幼稚園の時にはクラスの女の子全員に追いかけられて大変だったらしい。将来は悪い虫になりそうで、うらやましい…いや、心配である。
さて、このセミしばらくすると完全に羽化して、窓から飛び去ってしまった。子どもたちは、飛び立つまでの時間が図鑑に載っていたとおり5時間だったといって喜んでいた。
彼らもまた、いつかこのセミのように脱皮して飛び立っていくのだろうか…そんなことを考えて少し感傷的になった。
2009年7月29日水曜日
脳のMRI
市内の有名な脳の専門病院でMRIを撮ってきた。
特段どこか悪いということではなかったのだが、最近続く近親者の脳トラブルで少し心配になったのだ。MRIも初めて撮ったが、噂の大音響も閉所も気にならず、二十数分間の検査中ほとんど寝ておった。
結果は医者曰く「いやはや、この脳はすごいよ。ここまで活発に活動している脳を見たことないよ。大脳皮質の発達具合がまたすごいじゃないの。これってまぎれもなく天才の脳ですよ。この脳で見る世界って、どういうものなんだろうね。わたしら凡人には理解できないだろうけどさ」などというコメントもなく、普通に「異常なし」。脳内にも血管にも当面心配はいらないらしい。一安心である。
それにしても待ち時間の長かったこと。11時頃に行って、帰ったのが3時半であった。持って行っていた「大前の頭脳」一冊読みきってしまったよ。
2009年7月22日水曜日
2009年7月5日日曜日
蔵王山の捨て猫
今日の早朝、5時半起きで蔵王山に「かぶと虫、オオクワガタ捕獲作戦」に行ってきた。小学校3年生の娘と1年生の息子が、友達から「蔵王山ではかぶとやらクワガタからがわらわらいるよ」という話を聞いてきたからなのだが、こういう話はとかく大きくなりがちで「一匹、二匹がすぐにたくさん」になったりするから要注意だ。
案の定、山の中を歩くこと三十分、虫などは一切いなかった。虫はいなかったが、代わりに子猫がいた。捨て猫なのだ。ニャアニャアとかわいい声に娘も息子も惹きつけられて一歩も動かない。更には抱きかかえて「連れて帰る」と言い始めた。
その上悪いことに、ウォーキングで通りかかるおばさんが「あら、この猫まだいたのね。二三日前からなのよね。誰か車で来て捨てていったのね。かわいそうに」、おじさんが「こいつもこのままではカラスにねらわれるかもしれんのう」などと、我々が置き去りにすれば「子猫に未来はない」的な状況を作ってくれる。
駄目だ、駄目だ。うちにはすでに手のかかる動物が三匹いるではないか。この三匹の世話だけでも大変(今日だって、そのためにこんな朝早くから蔵王山に来ているのだぞ)なのに、その上子猫などとんでもない…何とか説き伏せようとするが、娘など「かわいそうだ」とめそめそと泣き始める。かなりマズイ状況だが、ここでこの猫を連れて帰るわけにはいかんのだ。そんなことをしていれば、我が家はすぐに動物屋敷になってしまうぞ。
目の前に救わねばならない難民が列を作っているのに、ワクチンと食料は限られた量しかない。そんな状況に直面したNGOの責任者のような気持ちになって、わしは決断した。
「家で飼えない以上、我々はこの子猫をどうすることもできない。どうすることもできない以上、ここにいても仕方がない。この場を離れる」と宣言して、かぶと虫とクワガタの探索を無理やり続行することにした。しかし、30分程度探してみたが、やはり虫は見つからず、元の場所(つまり、猫のいた場所)に帰ることとなった。そこを通らないと帰れないのだから仕方ない。またもや、泣き声がしたらどうしようと心配したが、運の良いことに泣き声はしなかった。子ども達には「あまりのかわいさに、さっきのおばさんが連れて帰ったのかもしれないな」と希望的な観測を口にしたが、実際どうだったのだろうか。あの場に残っていたとして、果たして生きのびることはできるのだろうか、いろいろ気になり、今日の気分は天気同様雨模様であった。
案の定、山の中を歩くこと三十分、虫などは一切いなかった。虫はいなかったが、代わりに子猫がいた。捨て猫なのだ。ニャアニャアとかわいい声に娘も息子も惹きつけられて一歩も動かない。更には抱きかかえて「連れて帰る」と言い始めた。
その上悪いことに、ウォーキングで通りかかるおばさんが「あら、この猫まだいたのね。二三日前からなのよね。誰か車で来て捨てていったのね。かわいそうに」、おじさんが「こいつもこのままではカラスにねらわれるかもしれんのう」などと、我々が置き去りにすれば「子猫に未来はない」的な状況を作ってくれる。
目の前に救わねばならない難民が列を作っているのに、ワクチンと食料は限られた量しかない。そんな状況に直面したNGOの責任者のような気持ちになって、わしは決断した。
「家で飼えない以上、我々はこの子猫をどうすることもできない。どうすることもできない以上、ここにいても仕方がない。この場を離れる」と宣言して、かぶと虫とクワガタの探索を無理やり続行することにした。しかし、30分程度探してみたが、やはり虫は見つからず、元の場所(つまり、猫のいた場所)に帰ることとなった。そこを通らないと帰れないのだから仕方ない。またもや、泣き声がしたらどうしようと心配したが、運の良いことに泣き声はしなかった。子ども達には「あまりのかわいさに、さっきのおばさんが連れて帰ったのかもしれないな」と希望的な観測を口にしたが、実際どうだったのだろうか。あの場に残っていたとして、果たして生きのびることはできるのだろうか、いろいろ気になり、今日の気分は天気同様雨模様であった。
2009年7月2日木曜日
マイケル・ジャクソン死す
マイケル・ジャクソンが死亡して一週間余り経つ。世界中に衝撃が走ったわけだが、このわしもその一人。今週から事務所の有線放送で一日中マイケル・ジャクソンの臨時特集チャンネルK-02をかけている。二時間サイクルで流れる曲は次の通りだ。
I Want You Back,
ABC,
Never Can Say Goodbye,
I’ll Be There,
Ben,
I Wanna Be Where You Are,
Rock With You,
Don’t Stop’ Til You Get Enough,
Billie Jean,
Beat It,
BAD,
Smooth Criminal,
P.Y.T.(Pretty Young Thing),
Wanna Be Startin’ Somethin,
Thriller (2003 Edit),
Scream,
Jam,
Black Or White (Single Edit),
You Rock My World(Redio Edit),
Human Nature,
The Girl Is Mine,
One More Chance,
Butterflies,
Cry,
Heal The World,
You Are Not Alone,
We Are The World
さすが、King of Popと称されるだけあって、すごい曲の並びである。わしにとっても「スリラー」は始めて買ったLPだったし、「We Are The World」も始めて買ったミュージックビデオだった。
さすが、King of Popと称されるだけあって、すごい曲の並びである。わしにとっても「スリラー」は始めて買ったLPだったし、「We Are The World」も始めて買ったミュージックビデオだった。
「BAD」はバンコクで海賊版のテープを買って、偽物ウォークマンで聞きながら中近東をふらついていた時の思い出が濃厚だ。
上の「I Want You Back」から「I’ll Be There」までの曲はJackson 5の頃の曲だが、どう聴いてもまぎれもなく天才。天才のことは天才にしかわからないだろう。わしのような凡人に彼の内面などうかがい知ることはできない。だから、彼の整形や私生活などには興味はないし、どうでもよいことだ。
頭に大がつく天才なのだ。何をしたって良いではないか。
今回のマイケルの死で、久し振りに「We Are The World」を耳にしたが、残念なのは個人的には彼こそが「King of Pop」だと思うプリンスが参加していないことだ。確か、参加の予定だったが、何かのトラブルでレコーディングに間に合わなかったのではなかったか。この曲にあのプリンスのシャウトが入っていたらどれだけ良かったか。
どうあれ、マイケル・ジャクソンの歌は「我々を一つ(We Are The World)」にしたことは間違いがない。http://www.youtube.com/watch?v=vxhl-wqf19s
心から冥福を祈る。
事務所の改造
いささか旧聞に属するが、先々月末に事務所の机と椅子などを一新した。
これまでは、ガタツキフラツキ状態の机を互いに支え合わせるようにして使っていたのだが、これではあまりに具合も見てくれも悪いということで、フリーアドレスデスクに代え、これまたガスが抜けて高さ調節ができず、下がりっぱなしだった椅子もすべて新しくしたのだ。そのついでに、社内のパソコン環境もLAN環境にした上でコピー機も刷新した。
これで気分も一新である。
今回、この仕事をお願いしたサンエイさんが、自社のニュースペーパー「サンエイ通信(配布数3000部)」のトップページに弊社の事例を載せてくれた。
ありが豆である。
これまでは、ガタツキフラツキ状態の机を互いに支え合わせるようにして使っていたのだが、これではあまりに具合も見てくれも悪いということで、フリーアドレスデスクに代え、これまたガスが抜けて高さ調節ができず、下がりっぱなしだった椅子もすべて新しくしたのだ。そのついでに、社内のパソコン環境もLAN環境にした上でコピー機も刷新した。
これで気分も一新である。
今回、この仕事をお願いしたサンエイさんが、自社のニュースペーパー「サンエイ通信(配布数3000部)」のトップページに弊社の事例を載せてくれた。
ありが豆である。
これで事務的な能率もアップしたし、その時の仕事の状態によって機動的に「席替え」を行うこともできる。なかなか良いものなのだ。
更に、事務所の美観・規律を維持するために「罰金制度」も冗談?で導入した。
曰く、
①退社時、机の上にものを残していた場合、一点当たり100円。
②コピー、スキャナした文書をそのままコピー機に残していた場合、一点当たり100円。
③不在の担当者へのメモ、書類は机の上ではなく、椅子の上におく。違反時一回100円
④退社時、各担当ごとに決められた機器の電源を消し忘れた場合、一回当たり100円。
⑤帰社時、行き先・帰社時間ボードを消さなかった場合、一回当たり100円。
⑥出社時のあいさつ「おはようございます」の声が暗かった場合、一回500円。
⑦5歩以上移動する場合に駆け足でなかったら一回1000円。
⑧自分の意見をもたずに相談してきた場合、一回5000円。
などというところだが、この制度を始めて一ヶ月余り。これまで社員さんから徴収した罰金は合計83900円…というのは冗談(ちなみに⑥~⑧はない)で400円が手元に集まっている。
しかし、仕事は流れ。滞らないように流してやれば速いのだ。そのためには整理・整頓など5Sが大切なのだ。
今回の事務所内の一新は良いきっかけとなった。
2009年7月1日水曜日
しまなみ海道ツーリング 二日目
よっしーにもらった二日酔い防止のサプリのおかげか、しこたま飲んだ割に目覚めが良い。光藤旅館では朝ご飯もうまい。しっかり食べて、9時過ぎに出発。
今日は、大三島で大山祗神社に行ってから帰路につく予定である。それにしても、学生の頃は「旅は一人旅に限る」と思い込んでいたが、旅は道連れというように仲間がいる旅も良いものだ。ましてや、良い仲間となら言うことはない。孤独を味わうように旅をしていた頃から、退化したのか、進化したのかはわからないが、今はこんな旅が好きだ。
だから、今は、
一人より、二人が、
そして、二人よりも三人が好ましく、
もう一人増えて、四人なら、なお良しであるのだ。
この日は、昨日にもまして良い天気で、完全なピーカンである。日焼け止めを塗りたくり、首筋も手拭で保護して出発だ。出発早々、海の美しさに見とれてしまって、四国に向ったりしたが、ペダルをこぐのも調子良く、一時間少々で大山祗神社まで到着。
大山祗神社は、平安時代には「日本総鎮守」の称号を与えられたくらいの由緒ある神社であり、境内には樹齢2600年とも言われる楠があったり、隣には源義経が奉納した鎧や武蔵坊弁慶の奉納した薙刀を展示している国宝館や、昭和天皇の海洋生物研究用の船だった葉山丸の展示をしている海事博物館もある。ここでは、何とかエイという宇宙人の干物のような標本や、鯨のちんちんなどを見ることができる。
大山祗園神社に参拝した後は、テレビで紹介されて人気沸騰中の大漁に行く。
これが驚き、11時半の開店前にはすでにこのような行列ができておるではないか。
もちろん、先頭集団で中に入り、名物の海鮮丼380円也を注文する。生ビールと一緒に頼んだのは言うまでもない。すると、こんなのが出てきて、あっという間に完食であった。満足満足。
その後は、多々羅大橋で空中浮遊をしたり、
行きにも寄ったドルチェで、今度は瀬戸田のれもんのジェラートを食べ、無料のれもん水2杯とアルカリイオン水2杯を飲み干し、更にその横の店ではっさくと夏みかんの搾りたてジュース(200円也、これは柑橘系の適度な苦味と酸味が最高だった)を立て続けに飲むという強烈なのどの渇き耐えながら無事帰宅する。
今回のツーリングで、わしの愛車が一段とかわいく感じられるようになった。
それにとっても良いツーリングだったぞ。
よっしー、とっしー、かずちゃん、愛車のデフィーちゃん、お疲れ様。
そして、ありが豆。
この日の行程は以下の通り。
9:10光藤旅館出発→10:32大山祗神社→12:00大山祗神社出発→16:28帰宅。
全行程では、
走行時間:10時間05分13秒、走行距離:222.93キロ、平均速度22.1キロ。
出発前の体重が68.8キロだったが、帰ってみると68.6キロ。なんと200グラムしか減っていないではないか!減量への旅ははなはだ厳しいものであるようだ。
出発前の体重が68.8キロだったが、帰ってみると68.6キロ。なんと200グラムしか減っていないではないか!減量への旅ははなはだ厳しいものであるようだ。
2009年6月30日火曜日
しまなみ海道ツーリング 一日目
6月27、28日の一泊二日でしまなみ海道を自転車でツーリングしてきた。メンバーは、よっしー、とっしー、かずちゃん、そしてわしの4人である。一日目は四国まで行き、折り返して伯方島の光藤旅館までのコースである。
天気もこの日はやや雲が多く、絶好の自転車日和だ。よっしー、とっしー、わしはロードなので去年に比べてペダルを回すのもかなり楽だ。気持ちよくペダルを回していると、巡航速度が30キロ程度になっていたりする。マウンテンのかずちゃんにはかなり苦しかったろう。
しまなみ海道ならではの次々登場する橋、これが良いのだ。因島大橋などは橋の下を通ることになっており、これが雰囲気を出してくれる。
因島では有名な?「はっさく屋」で、名物?「はっさく大福」を食す。はっさくの固まりが中に入っていて、これが結構いけるのだ。大福など日頃食べないわしでも、はっさくの酸味のおかげでこれなら何個でもいけそうだ。はっさく大福一個130円。http://0845.boo.jp/hassaku/
天気もこの日はやや雲が多く、絶好の自転車日和だ。よっしー、とっしー、わしはロードなので去年に比べてペダルを回すのもかなり楽だ。気持ちよくペダルを回していると、巡航速度が30キロ程度になっていたりする。マウンテンのかずちゃんにはかなり苦しかったろう。
しまなみ海道ならではの次々登場する橋、これが良いのだ。因島大橋などは橋の下を通ることになっており、これが雰囲気を出してくれる。
因島では有名な?「はっさく屋」で、名物?「はっさく大福」を食す。はっさくの固まりが中に入っていて、これが結構いけるのだ。大福など日頃食べないわしでも、はっさくの酸味のおかげでこれなら何個でもいけそうだ。はっさく大福一個130円。http://0845.boo.jp/hassaku/
それにしても、よっしーは速い。さすが遠い昔は自転車の選手だっただけある。途中、トラックについていったり、原付を追いかけたりと、パワーが違う。わしもトレーニングを積んで、よっしーについていけるようになりたいものだ。
瀬戸田では、ドルチェでジェラートを食べる。今回は伯方の塩味にしたのだが、これがあっさりしていて旨い。それもそのはず、ここは楽天のジェラート部門、三年連続一位なのだそうだ。その他にも、瀬戸田のれもん味、瀬戸田のデコポン味、瀬戸田の夏みかん味などと、ここでは瀬戸田の味を思う存分味わえる。シングルタイプで263円。http://www.setoda-dolce.com/index.htm
しまなみ海道でどの橋が好きかと聞かれたら、わしは迷うことなく「多々羅大橋」だと答える。この橋は最高だ。何しろ、多々羅大橋には鳴き龍がいるのだ。ということで、ここでは童心に返って、散々シャウトしてしまった。
それにしても、この多々羅大橋にしても、この後の来島海峡大橋にしても、とんでもない橋をよくぞ造ったものだ。上の橋脚の下からの眺めなどすごいものだ。総工費がいくらかかったか、経済的にペイしているのかなどと考えると疑問はあるが、自転車で走るには最高の橋であり、コースだ。眺望も素晴らしいし、橋の上を抜けていく風はとても気持ちよい。
マウンテンのかずちゃんは途中足がつったりしながらも頑張る。わしも少しバテ気味になりながらもくるくるとペダルを回し続けて、無事四国に到着。今治サイクリングターミナルのサンライズ糸山で最高にうまいビールにありついたのである。
昨年ここに来たときは天気が悪かったせいか、サイクリストをあまり見なかったが、今年はかなり多い。ロード(特にTREK)をよく見る。中には親子連れなどもいて、ほほえましい。しかし、わし的には以下のようなサイクリストが好きである。
このような格好では日焼けして大変だろうなと心配ではあるが、そんなこと言えば貴重な鑑賞の機会を逸してしまうし、後ろを走りながらかなり悩んだが、親切より鑑賞を選んでしまった。わしのような凡人の悩みなど、すべからくこのようなものである。
Uターンして大島を通って、再び伯方島へ。ここの光藤旅館が良いのだ。
この日の全行程は以下の通りである。
6:30出発→7:40尾道大橋→8:15因島大橋→9:15生口橋→10:25多々羅大橋→10:53生口橋→11:22伯方・大島大橋→12:35来島海峡大橋→12:53今治市サイクリングセンター着→14:05サイクリングセンター出発→15:05伯方・大島大橋→15:23光藤旅館。
走行時間:5時間32分58秒、走行距離:121.89キロ、平均速度21.9キロ。
(ちなみに、四国までは走行時間:4時間22分27秒、走行距離:98.28キロ、平均速度22.4キロ)。
光藤旅館での料理は昨年同様素晴らしかった。
2009年6月23日火曜日
しまなみ海道ツーリング準備完了!
今週末の予定の「しまなみ海道ツーリング」。ほぼ準備は完了した。とはいっても、下のようなキャリアを取り付けただけなのだが、こうするといかにも「ツーリング」という感じになってくる。後はボトルゲージを付けるだけだな。気になるのは天候だが、週間天気予報によれば、どうにか持ちそうだ。少しビールを控えて体調を整えておくことにしよう。
2009年6月13日土曜日
橘怜「貧乏はお金持ち」
橘怜さんについては、海外投資を楽しむ会の「ゴミ投資家のための人生設計入門」「ゴミ投資家のための税金天国入門」などから始まって、「お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方」「マネーロンダリング」「雨の降る日は幸福について考えよう」「永遠の旅行者」「得する生活」「「黄金の扉を開ける賢者の海外投資術」「臆病者のための株入門」「マネーロンダリング入門」「亜玖夢博士の経済入門」、訳書の「不道徳教育」など、出ている本はほとんど読んでいるくらいのファンである。
そもそも少額ではあるが、海外投資を始めたきっかけの一つがこの橘さんの本なのである。
毎回、そのクールな文体と目の覚めるような現実認識とに魅了されるが、今回も同様である。
今回もそのメッセージはシンプルだ。
あとがきにあるように、「国家に依存するな、国家を道具として使え」ということである。
この言葉だけ聞くと、何やら過激で現実離れしたように聞こえるが、そうではない。これは現実を希望や願望ではなく、醒めた目と頭脳で見た上で辿り着いた認識なのだ。
さらに、このように言葉は続く。
「私たちは、国家のない世界を生きることはできない。国家を否定し、革命を目指すのは自由だが、大多数のひとは無政府主義の理想を目指そうとは思わないだろう。生き延びるためになすべきなのは、国家に依存するのでも権力を拒絶するのでもなく、国家の仕組みを観察し、理解し、道具として利用することだ」
読み終わって、4章の「磯野家の節税ーマイクロ法人と税金」を我が家で行うとどのようなことになるかをシミュレーションしているところであるが、このマイクロ法人を使った時の効果は驚くべきものだということがわかる。
知識は力である。
そもそも少額ではあるが、海外投資を始めたきっかけの一つがこの橘さんの本なのである。
毎回、そのクールな文体と目の覚めるような現実認識とに魅了されるが、今回も同様である。
今回もそのメッセージはシンプルだ。
あとがきにあるように、「国家に依存するな、国家を道具として使え」ということである。
この言葉だけ聞くと、何やら過激で現実離れしたように聞こえるが、そうではない。これは現実を希望や願望ではなく、醒めた目と頭脳で見た上で辿り着いた認識なのだ。
さらに、このように言葉は続く。
「私たちは、国家のない世界を生きることはできない。国家を否定し、革命を目指すのは自由だが、大多数のひとは無政府主義の理想を目指そうとは思わないだろう。生き延びるためになすべきなのは、国家に依存するのでも権力を拒絶するのでもなく、国家の仕組みを観察し、理解し、道具として利用することだ」
読み終わって、4章の「磯野家の節税ーマイクロ法人と税金」を我が家で行うとどのようなことになるかをシミュレーションしているところであるが、このマイクロ法人を使った時の効果は驚くべきものだということがわかる。
知識は力である。
2009年6月11日木曜日
菓子組合青年部視察旅行
6月8日、9日と菓子組合青年部で滋賀、京都に視察旅行に行ってきた。
彦根のたねやを視察し、平等院を見学し、京都・鴨川の川床のしゃれたレストランでイタリアンを食し、皆で京都の町並みを散策し、翌朝は東急ホテルのたん熊でお粥を食べて、保津川でいかだ下り、終点の嵐山を歩き、再び京都市内で高島屋、松坂屋のデパ地下で和菓子屋さんを見学、錦市場をぶらついて帰途についた。
いやはや、有意義な二日でございました。
写真は今年で青年部を卒業するK田さんとM浦さんを記念して、そろって人力車に乗ってもらったの構図です。いい感じですね。
2009年6月7日日曜日
親子ツーリングで鞆の浦
朝、ヨッシー、トッシー、ジェリー、わしの4人で山手林道に上ってきた。下りは久し振りだったが、やはり年末の悪夢が体に残っているのだろう、正直ビビリまくってしまった。ジェリーの速さがうらやましいが今は無理は禁物である。怪我せず、下るのが一番だ。
帰って、子供3人(小6長女、小3次女、小1長男)とともに鞆の浦までサイクリングへ。前半は芦田川沿いを通っていったのだが、向かい風のためになかなかスピードが出ない。片道18キロを二時間余り。鞆でコンビニのおにぎりを皆でほおばり、のんびりした後帰途につく。帰りは逆に追い風のため一時間半で戻ってこれた。それにしても、小1の息子はタフだ。帰りなどは、わしよりも速く走ろうと、芦田川沿いを全力疾走しておった。
往復36キロは子供にとっても良い経験となったろう。いつか北海道などを皆でツーリングしたいものだ。
帰って、子供3人(小6長女、小3次女、小1長男)とともに鞆の浦までサイクリングへ。前半は芦田川沿いを通っていったのだが、向かい風のためになかなかスピードが出ない。片道18キロを二時間余り。鞆でコンビニのおにぎりを皆でほおばり、のんびりした後帰途につく。帰りは逆に追い風のため一時間半で戻ってこれた。それにしても、小1の息子はタフだ。帰りなどは、わしよりも速く走ろうと、芦田川沿いを全力疾走しておった。
往復36キロは子供にとっても良い経験となったろう。いつか北海道などを皆でツーリングしたいものだ。
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