2010年12月11日土曜日

やる気のスイッチってどこにあるの?

ここ数週間、国内にいるときにはどうもやる気が出ない。
なんでだろうか、と考えてみたが、原因はよくわからない。
1、2年に一度、このような状態があるが、これは周期的なものなのだろうか。確か前々回は二年前の9月くらいではなかったか。この時は個人的にコーチングのコーチと契約して指導してもらうことと、最終的には海外出張による高揚感を踏み台にして脱出したのであった。
前回は昨年の1月くらいであった。この時は会長が体調を崩すことによって、経営トップとして動けるようになったことによるエキサイティングな日々の中で瞬時に解消されたのであった。
ということは、わしのやる気のスイッチは内部では入らず、外的要因(=刺激的な状況、チャレンジしがいのあるテーマ)によって入るらしい。
有事には強いし、その中ではイキイキするが、平和なときには逆に退屈して鬱々とした日々を過ごしてしまう…これでは何やら人格破綻者のようであるが、一面は真理であることは確かだ。
有事には有事で、ストレスを感じてしまうのだろうが、それは退屈よりはまだましなのだ。
何と面倒な性格であろうかと思うが、これも自分であるから仕方ない。
自分とのつきあい方を再度研究しなければなるまい。

2010年12月10日金曜日

福田秀人著「見切る」

引用
<ほのぼの会社の九条件>
人事関係
①採用した社員は、怠け者でも雇い続け、ミスや手抜きをしても叱らない。
②仕事をせず、ろくな成果をあげなくても、昇給、昇進させていく。
③昇進させた者は、その役職では力不足であっても、異動や降格をさせない。
仕入関係
④仕入先や外注先がミスをしても、「気をつけてね」と言うだけで簡単に許し、めったなことでは取引を中止しない。
⑤金払いがよく、めったなことでは値引きを要求せず、安い見積もりを出せば「こんなに安くて大丈夫なの」と心配してくれる。
顧客関係
⑥販売先や顧客の面倒な注文やサービスの要求には、二つ返事で応じ、顧客満足を心がける。
⑦気安く値引きする。
⑧クレームをつけられれば、相手側に非があっても反論せず、謝罪や補償をする。
株主関係
⑨ちょっと儲かれば、内部留保に回すより、株主配当をはずむ。
以上の条件のうち、ひとつでも満たせば、ほのぼの会社予備軍である。

ほのぼの会社は愛されて潰れていく…と筆者は断じる。おそろしいことである。
自社でも当てはまりそうな条件がチラチラとあるように思う。
少し厳しさが欠けているのかもしれぬ。
気をつけなければならない。

2010年12月4日土曜日

パリ出張 その4

凱旋門からシャンゼリゼ通りにかけて
左上に飛ぶ鳩が良い感じ

パリ出張 その3

セーヌ川の流れ
結構ドロ川だったんだよね。

パリ出張 その2

商談会の合間を使って、ベルサイユ宮殿へ。
ルイ14世の絢爛豪華な建物を鑑賞しようと期待していくと、そこには異様な物体が…。
中に入るとすべての部屋に異様な物体があり、更にはこんなものが…。
続いてこんなやつが次々と現われる。

いったい、これは何なんだ? と思って確認すると、以下のような記事があった。

【パリ=山口昌子】フランスの「ベルサイユ防衛調整会(CDV)」は15日、声明を発表し、CDVと「仏全国作家連合」が11日付けで天皇陛下、菅直人首相、日本国民宛にベルサイユ宮殿で開催中の現代美術家、村上隆氏の作品展中止の「公的支援」を訴える書簡を送ったことを明らかにした。
書簡は、「150年来、フランスと日本は友好条約で結ばれている」としたうえで、パリ郊外のベルサイユ宮殿内で9月14日から開催中の村上隆氏の作品展が「われわれの国家的遺産の象徴を滑稽化している」と指摘、展覧会の「即刻中止」を訴えている。
作品展に関しては、宮殿を建設したルイ14世の子孫のシクストアンリ・ドブルボン公爵が10月中旬、「祖先と宮殿の尊厳を守るために」中止を求める仮処分をベルサイユの行政裁判所に申請することを明らかにした。
ベルサイユ宮殿では2008年から毎年、現代美術かの作品展を開催しているが、初回の米美術家ジェフ・クーンズ氏の作品展では公爵の甥が中止を求めて同裁判所に訴えたが、却下された経緯がある。


そういえば日本でもニュースを見たような気がする。日本では否定的な報道が多かったようだが、こちらではどうなのだろうか。
フランス在住十数年の日本人に尋ねると、意外な答えが返ってきた。
「こちらの人はほとんど気にしていませんね。あれはあれでかわいいじゃんってなもんですよ。前にはもっと過激な芸術の展示もあったし、ね。それにルイ14世の子孫が仮処分を申請するのはおかしいよ。だって、あの宮殿はあなたたちのものではないもんね。けれど、一番気になるのは日本の報道ですよ。大変な問題になっているような一方的な見方をどのマスコミでも言っているでしょ。バランスが全く取れていないんだよね。こちらの方が大問題だよね。ある意味、こわい」

傾聴に値する意見だったが、わしのように初めてベルサイユに訪れた人間からすると、やはりこの展示には少々問題ありだ。
何しろ、思い起こしてもベルサイユの記憶=村上隆のオブジェになっているのだ。
わしの記憶を返してくれと言いたい気分だ。



2010年11月27日土曜日

産経新聞に掲載される

11月25日付産経新聞中四国面に掲載された。わしだけではなく、「頼れる戦力」ということで、工場長も載ったのがうれしい。取材の時にも、実に立派なことを話すのだ。
それにしても、わしの顔、太っておるなあ。

パリ出張 その1

先週月曜日から日曜日にかけて、フランス パリに行ってきた。
豆菓子の商談会への参加のためである。ANAのコネクト便で広島空港から成田へ。そこから12時間かけてパリのシャルル・ドゴール空港まで到着予定だ。
月曜日の夕方に出発して、同じくその日の夕方に着くということで、飛行機の中では無理やり起きていたが、この間映画を3本観て、そして本を2冊読破する。隣の夫婦は日系2世で久し振りに日本に帰り、再びブラジルに戻る途中とのこと。ブラジルの様子なども聞く。
途中、シベリア付近では氷原の中を蛇行する河のようなものも見れ、なかなか退屈しない。この何もない中、道のようなものが走っていたし、赤いランプが一定の間隔で点いていたがあれは何なのだろうか。もしかして、大陸間ミサイルの発射基地か。
フランスの上に差し掛かると、直線でくぎられ、斑状になった畑が延々に広がる。フランスが農業大国であることが実感できる。
ともあれ、無事にパリ着。イミグレなどは見もしないでパスポートにスタンプを押していくのだから、おおらかなものだ。
バスに乗り込み、パリ市内まで約一時間。
ホテルに着いて、他のメンバーとワインで乾杯。それにしてもパスタはいただけない。塩気が全くなく味がしないのだ。

2010年11月8日月曜日

鹿児島出張

原料の関係で鹿児島まで出張してきた。去る9月30日から10月1日にかけてである。
目的地は鹿児島でも南端に近い指宿の郊外。空港でレンタカーを借りて南下。ここら辺りまで来ると、ここはもう南国である。
夜更けまで商談をして、翌日は朝一から砂風呂へ。もちろん、指宿の砂風呂と言えば「砂楽」である。
気持ちよく砂風呂を楽しみ、風呂上りに飲んだご当地ラムネがとてもおいしかった。

2010年11月6日土曜日

この国を出よ

大前研一氏と柳井正氏の書いた「この国を出よ」。
刺激的なタイトルだが、内容は更に刺激的だ。

本の中にも出てくるが、ユニクロは10月7日に台湾1号店を台北市にオープンさせた。オープンでは連日数千人の行列ができるほどの大盛況。
ちょうどその時に台北にいたので、ユニクロのある統一阪急百貨台北店に行ってみた。
なるほど、すごい行列だ。



この出張は、4月に入社した2名に海外体験をさせるために企画したもので、彼らは1週間台北の高級住宅地のそごう天母店で豆菓子の量り売りをした。両名とも、海外は初めてどころか、飛行機さえ初めて乗るという状態。そんな2人を初日だけ立会い、後は置いてくるのだから、わしも良い社長だ(わしは他の用事で中国の福建省に行った帰りに、台北で2人と合流して、一日いて後はサッサと1人だけ帰ってきた)。
しかし、経験が男を磨くというのは本当で、最初は初めての経験に戸惑うばかりだった2人も帰国時には片言の中国語で自社製品の説明ができるようになっていたし、「また、海外に行きたいか? ただし、次は1人だぞ」との言葉に、「はい、1人でも何でもまた行きたいです」と力強く答えた。
良い経験になったのだろう。


 

豆菓子で「世界最強」の道のりはこれからだ。わしだけが世界を見ていてもいけない。これからも機会を作って、若い衆にも海外武者修行をさせていこうと思う。

2010年11月2日火曜日

吉澤大「社長の時間の使い方」 再読

このように、「人件費」「支払家賃」「支払利息」は、三つが相互に関連しながらスパイラル状に増えていくのです。
その結果、気がついたときには「それほど高くない」と思っていた固定費がいつの間にか予想をはるかに超えたものになっていて愕然とするわけです。

フリーキャッシュフローの数値を知りたいだけであれば、私が考案した次の算式で、誰もが簡単に計算できます。
現預金の増減-銀行借入金の増減

(会社の現預金の増減-銀行借入金の増減)+社長への役員報酬等支払額

「インフラ」のできあがったビジネスのなかで「他人ではなく自分を選んでもらう」しくみを考えることのほうが、中小企業の社長が時間効率よく稼ぐためには先決なのです。

人脈形成のために飲み会に参加しても、一定時間以上になると「時間当たりの成果」は小さくなってしまいます。
ですから、毎回夜中まで飲み会に付き合うのではなく、場合によっては「一次会のみに参加する」など適当なところで切り上げることが時間効率上は得策なのです。

また、社長が従業員との懇親会に最後までいてもあまりよいことはありません。最初の一時間だけ参加して、あとはおカネだけ置いて帰るのが、社長の時間効率だけでなく、従業員にとってもありがたい参加の仕方なのではありませんか。

各業界の情報を収集するには、「業界紙を一気に読む」ことが時間効率のよい方法です。

もし、社長が採算度外視で取り組みたい仕事や、仕事以外の自己実現を果たしたいのであれば、まずは、そのための時間を先に確保しなくてはなりません。そして、残りの時間で「いかに効率よく仕事を進めるか」を考える必要があるのです。
つまり、答えは、「制約を設ける」ということです。
そのためには、プライオリティ=優先順位をはっきりさせるということです。
このプライオリティを明らかにするための有効な手段があります。それは、「できるだけ多くのデッドライン(締切り)を引く」ことです。
デッドラインそのものがスピードアップにつながるのです。

時間制約のない状態で仕事をすると、「お客様に喜んでもらうレポートを書く」ための努力だったはずが、いつしか「どうだ、俺ってこんなにすごいことを知っているんだぜ」という自己満足に変わっていたことがよくありました。
ですから、顧客の要望についてきちんと優先順位をつけることが大切なのです。そして、「作業時間内でどこまで顧客の要望を満足させられるか」を考える必要があります。

グーグルカレンダーを埋めてみて気がつくのは、相手先の都合で三〇分程度の時間が空いてしまうことが多い点です。
そこで、私はあえて、「お礼のメールを出す」など「一五分でできる仕事」をTODOリストに並べることにしました。


(感想)すべて当たり前のことであるが、何となく「バタバタしているなあ」というときには、以上のことが曖昧になっていることがある。戒めなければならぬ。

2010年10月22日金曜日

福山城にかかる虹

先日、車の助手席に息子を乗せて走っていると、突然のにわか雨。しばらくすると止んで、ふいに息子が東の空を指した。ほんと、大きい虹がかかっていた。
少し得した気分だ。

2010年9月28日火曜日

ひろしま うららか さんぽ

RCCラジオの「和佐由紀子のうららか日曜日」という番組が本になった。
我が豆徳も福山の中に載っている。
ガラスへの車の映り込みはいただけないが、やはり名誉なことではある。
取材に来てくれた和佐さんも大変に美人だったし、やはり美人は良い、大変良い、本当に良い…とあらためて思う今日この頃である。

2010年9月24日金曜日

福山市民は運転が乱暴なのか?

免許の更新に行ってきた。何やらやたらと良い建物になっていて驚いた。
手続きもかなり流れが良くなっており、わしの場合「優良」なので朝9時半前に行って、講習30分受けて、帰りに新しい免許を受け取って10時には完了である。
今回も交通安全協会への入会の誘いがあったが、こんなものにはもちろん入るわけがない。

講習の中で、担当者が広島県東部はこのように死傷者数が多いと強調する。
確かに広島市(27人)より福山市(31人)の方が交通事故死者数が多いのだ。
そうなのか、福山は運転が乱暴な人が多いのかなと自分のことを棚に上げて思いつつ、退屈な講義の合間にiphoneを使って調べてみることにした。
広島市は1,173,980人、福山市の人口は465,308人であるからして、人口当たりの交通事故死者数は、それぞれ0.0023%と0.0067%で福山市の方が3倍高いのだ。確かに福山市の死傷者率は高い。しかし、ここで結論を急ぐのは面白くない。ちなみに他にも死傷者数の多い東広島市、呉市、尾道市、三原市を調べてみると、0.0076%、0.0061%、0.0053%、0.0058%であった。福山が突出して高いわけではないらしい。
全国的にはどうであろうか。調べてみると、以下のようなデータがあった。

国都市別(人口10万人以上都市の死亡事故件数 死者数)
第1位 山口県周南市7.90 第2位 福岡県飯塚市7.60 第3位 秋田県横手市6.80
第4位 静岡県島田市6.80 第5位 茨城県取手市6.30 第6位 栃木県小山市6.30
第7位 香川県丸亀市6.30 第8位 山口県岩国市6.10 第9位 三重県松阪市6.00
第10位 岩手県花巻市5.80 第11位 埼玉県深谷市5.50 第12位 新潟県上越市5.30

少しデータの整合性が取れていないが、いずれにせよ他にいくらでも交通事故死傷者率が高いエリアがあり、福山市が特別に運転が乱暴だという証拠はなかった。
しかし、上のデータを見るといずれも所謂田舎であり、交通事故死傷者の半数を占めるという高齢者の割合が高いエリアである。
もし運転の乱暴なエリアを本当に探そうとするならば、ファクターとして高齢者率や自動車の保有率なども割り引いて考慮しなければならないだろう。
なかなか奥の深いテーマなのだ。
ともあれ、今日のところは退屈な講習の間の暇つぶしができただけでよい。
これにて終了である。

久方ぶりの武○会

去る20日、久し振りに武○会があった。
武○会という正式名称があるわけではないが、武○さんを中心に、○浩さん、○石さん、そして上○(自分まで伏せ字にしなくてもいいか)が揃って、酒でも飲もうという会である。
普通の飲み会に見えて、これがそうではないのだ。
武○さんは脳みその切れ味において並ぶ者のないと言われている人物であるし、○浩さんもそのマニアックな博覧強記ぶり、活動の多面さにおいては及ぶ者がいないと思われている人物である。であるからして、このメンバーでの飲み会が面白くないわけがない。
この日も、小数点の話から始まり、航空力学、日本の歴史、音楽など様々な話題で脱線に次ぐ脱線。刺激的な時間を過ごせたのであった。

2010年9月16日木曜日

リアル脱出ゲーム

知人の誘いで、ワイキューブのリアル脱出ゲームを体験してきた。参加したのは、学生ではなく、経営者ばかり。部屋に隠された謎を解いて、一時間以内に部屋を脱出しなければならない。

わしらは、このような「夜の遊園地からの脱出」などというものではなく、単に部屋からの脱出ということであったが、これがワクワクドキドキで面白い。途中、他のチームの動きを止めるために、一度開けた宝箱の鍵を閉めに行くなどという不届き者もいたりして(→実はわしだったりして)、それぞれの性格もよく表れていた。しかし、このような不届きな行いをしていたわしなどは、決して採用などされぬであろうな。経営者で良かった。
カンニングくさいふるまいなどもした結果、6チーム全てが脱出に成功。これなどさすがに経営者の集団というべきか。
ワイキューブが求める人物とは、①自分の頭で考えることのできる人、②物事を裏側からも見られる人、であるからこれなどわしも目指している人物像である。
ともあれ、このゲームはすこぶる面白かったし、それよりもこの後の食事は最高だった。久し振りに大笑いさせてもらった。
ツヨシくん、あなたは最高だよ。

2010年7月24日土曜日

がん検診

広島までがんを含む全身検診に行ってきた。
PET-CT検診にヘリカルCT、超音波検査にMRIなど全身をくまなく診てもらった。
エクゼクティブコースを受けたのだが、コンシェルジュもいて本当に至れりつくせりのサービス。建物も中も病院というよりは高級ホテルの趣き。本当にリラックスして検診を受けられた。
検診後はラウンジで高級ベーカリーの食事のサービスもあり、「ずっとここにいたい」と思ったが、そうはいかず、仕方なく下界に戻ることとなった。
まあ、全身異常なしだから良いとせねばならぬな。

逆境に強い会社の条件? それはわしが知りたいわい

地元の福山○○大学の数名の女子学生が卒業研究のための取材で来社してくれた。
タイトルは「逆境に強い企業像」ということで、いくつかの質問が出た。
すなわち、
ここまで成長した最大の原因は何ですか?
→大して成長していないのだから、原因・要因もない。

逆境に強い企業だと思いますか?
→会社が逆境に強いかどうかはわからないが、社長であるわしは逆境にかなり強い方だと思う。

逆境に強い企業の条件は何だと思いますか?
→わからない。それを知りたいと思って日々勉強している。あなたもわかったら教えてほしい。

持続可能な成長を考えるとき特別に環境を意識したことはありますか?
→あるけれど、皆が「温暖化防止!温暖化STOP!」と連呼するような状況下でも、自分で得心しない限りは、大勢には従わない。わしの子どもの頃は「氷河期が来る!」と騒いでいたのだ。そして、原発も「未来のエネルギー→絶対反対→温暖化の代替案」と変わってきている。世の中なんてそんなもんだ。

Only 0neと称される所以は何だと思いますか?
→そんなこと言われているとは初めて聞いた。しかし、そのお冠には魅力を感じない。わしが目指しているのは「世界最強の豆菓子屋」だからだ。

激変している世の中でこれといった安定した経営を維持する秘密があれば教えてください?
→それはわしの方が教えてくださいとお願いします。けれど、カヌーで言えば激流の中で沈しない方法は知っている。それは流れより早く艇を動かすこと、流れに真っ直ぐ艇を進めることだ。君たちにわかるかな?

楽しい時間であった。

マンマミーア観劇

去る6月27日、マンマミーアの広島公演を観に行った。
内容はともかく驚いたのはその値段。座ったのはS席だったがこれが何と!9800円。
私と妻、おふくろと中一の娘、そして小2の息子で締めて49,000円である。かぶれた妻が勢いで買ったのだが、この値段を知った途端、不機嫌モードに突入しそうになった。
しかし、ここは我慢。
折角だから9,800円分楽しんで帰るぞ!と気合を入れて観たのだが、日本語で歌うABBAに乗れない。何しろABBAは同時代なのである。どうしても「これはABBAではない」と思ってしまうのだ。
そうこうしている内に、隣で見ていた息子が寝始めた。開始早々寝始めて最後の30分くらいで起きたから、大体8000円分昼寝していたことになる。しかも中一の娘まで4000円分寝てしまったという。更に私も不覚にも1000円分くらいウトウトしてしまった。上迫家13000円分の昼寝である。
おふくろもただ一言、「迫力あったね」のコメントがあっただけだったから、もしかすると2,3000円分くらいは昼寝していた可能性がある。
結論、和製ミュージカルはもう観ません。

2010年6月23日水曜日

蛍見物

去る日曜日に駅家の服部川に蛍見物に出掛けてきた。
少し、時期が遅いのか、思ったほどの数はいなかったが、やはり趣があって良い。
子どもの掌にもとまったりして、大喜びだ。
写真で撮ろうとしたが、うまく撮れず。
光の筋が写っただけであった。まあ、これもきれいではある。

2010年6月18日金曜日

社長就任

この6月から社長となった。
なる前は何かしらの感慨があるのかと期待していたが、何もない。昨年の2月に社長(現会長)が体調不良で会社に出なくなってから、ずっとトップをやってきたし、それより前から「For the company」の思いで仕事をやってきたのだ。
何も変わらないのも当然なのかもしれない。
しかし、会社そのものは進化させていかねばならない。
わしらはRolling beansなんじゃ。
もとより、元のRolling stones、転石は苔を生ぜず(A rolling stone gathers no moss.)の場合、二義あって、①職業を転々としている人は、金が身につかない、②活発に活動を続けていれば、時代に取り残されることはない、の意味があり、ここでは当然②の意味で使っている。
しかし、もっと正確に言うと、わしらはRolling bean gradually grows なのだ。
豆菓子が巻き機の中で転がりながら大きくなっていくように、わしらも前に前にどんどん転がりながら、大きくなっていくんじゃ。
というわけで、これからもコロコロと転がってまいります。
あらぬ方向に転がりそうな時には、救いの手を差し伸べていただきますように、どうぞよろしくお願いいたします。

2010年4月26日月曜日

伊藤計劃「虐殺器官」

と書いていて思い出したのだが、最近読んだ伊藤計劃の「虐殺器官」は良かった。何しろ、描写が滅茶苦茶にうまい。設定も良かった。
これはすごい作家を見つけたと喜んで他の著作「ハーモニー」も読んだが、これも良い。いつもそうするのだが、気に入った作家は一気にその著作をすべて読む。
しかし、あろうことか、この伊藤計劃は昨年末に亡くなっていたのだった。しかも享年25歳という若さでである。
残念、本当に残念である。

みんな長生きしてほしい

井上ひさしが亡くなって、他の敬愛する作家のことが気になってきた。
筒井康隆や小松左京は大丈夫だろうか?
筒井康隆は先日「アホの壁」を出版していたが、小松左京はどうしているのだろう。「虚無回廊」の続きは読めるのだろうか。
井上ひさしだけではなく、彼らの本もほとんど全てむさぶり読んだし、それが私の精神の血となり肉となっている。できうるなら、少しでも長生きしてもらい、一冊でも多くの本を書いてもらいたい。
心から願う。

SF作家で言えば、アーサー・C・クラークが亡くなったのが一昨年。大学のときに読んだ「都市と星」、「宇宙のランデブー」、「楽園の泉」の衝撃は今も忘れられない。

2010年4月24日土曜日

井上ひさし死す

小説「吉里吉里人」やNHKの連続人形劇「ひょっこりひょうたん島」の台本のほか、戯曲やエッセーなど多彩な分野で活躍した作家の井上ひさし(いのうえ・ひさし、本名・●=ひさし)さんが9日夜、死去した。75歳だった。葬儀・告別式は近親者で行い、後日お別れの会を開く予定。
家族によると、昨年10月末に肺がんと診断され、11月から抗がん剤治療を受けていたという。
井上さんは昭和9年、山形県生まれ。上智大在学中から浅草のストリップ劇場「フランス座」文芸部に所属し、台本を書き始めた。39年からは、5年間続いた「ひょっこりひょうたん島」の台本を童話、放送作家の山元護久とともに執筆、一躍人気を集めた。
44年、戯曲「日本人のへそ」を発表して演劇界デビュー。47年に「道元の冒険」で岸田戯曲賞を受賞して、劇作家としての地位を確立した。奇想と批判精神に満ちた喜劇や評伝劇などで劇場をわかせ、59年には自身の戯曲のみを上演する劇団「こまつ座」の旗揚げ公演を行った。
小説家としても、47年に江戸戯作者群像を軽妙なタッチで描いた小説「手鎖心中」で直木賞を受賞。絶妙な言葉遊び、ユーモアたっぷりの作風で多くの読者に支持され、エッセーの名手としても知られた。自他ともに認める遅筆で、台本が間に合わず公演が延期となることなどから、「遅筆堂」と自称していた。
一方、戦争責任問題を創作のテーマに掲げ、東京裁判や原爆を主題にした作品も数多く発表。平成15年から19年にかけて日本ペンクラブ会長を務め、16年には護憲を訴える「九条の会」を作家の大江健三郎さんらとともに設立した。
戯曲「しみじみ日本・乃木大将」「小林一茶」で紀伊國屋演劇賞と読売文学賞(戯曲部門)、「吉里吉里人」で日本SF大賞、読売文学賞(小説部門)。小説「腹鼓記」「不忠臣蔵」で吉川英治文学賞、「東京セブンローズ」で菊池寛賞など受賞多数。16年に文化功労者、21年に日本芸術院会員に選ばれた。





この情報をニュースで見た妻がすぐに風呂に入っていた私に教えてくれた。
中学3年生のときに「吉里吉里人」を読んで以来、高校、大学と出版されていたほとんどの本を読んでいるし、深く影響を受けた作家の一人だ。
高校の時に再読した「吉里吉里人」は、再び私の心に強烈な影響を与え、ギリギリになって理系から文系に転向するきっかけともなった。また、左翼的な正義感を強く持つようになったのも(今はそんなことはないが)、井上ひさしの影響が強い。
今でも年間100冊程度の本を読んでいるが、「本を読むという面白さ」を教えてくれた恩人でもある。
そんなことを考えていたら、少し目がかすんできた。


「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく、おもしろいことをまじめに、まじめなことをゆかいに、ゆかいなことをいっそうゆかいに」
ともすれば、この逆になりそうだけど、井上ひさしから教えてもらったことは今でも、これからも私の宝である。


心から冥福をお祈りいたします。



2010年4月17日土曜日

ハワイ三昧

去る3月22~27日まで家族旅行でハワイに行ってきた。
福山マラソンの次の日で、足はボロボロだったが、定番の潜水艦アトランティスに乗ったり、クアロア牧場に行ったり、途中プライベートビーチでゆっくりしたりといったとても楽しい旅行だった。

個人的には、ビーチに座って海と空と子どもたちを見ながら、今後の生き方について考えた時間が得がたいものだった。

ロコモコなどハワイの食べ物はどれもおいしかったし、空気もサラッとしておりとても心地の良いところだ。できれば年に一度以上は来たいものだ。
と、思っていたら何と二日連続でホテルの部屋の窓から「海からの虹」が見えた。
ハワイの自然もそう思ってくれているようだ。




新入社員研修

4月1,2日に備後ハイツにて、中小企業家同友会主催の「合同入社式&新入社員研修」があった。
私もスタッフの一人として参加。総勢42名が初々しい社会人デビューをした。
我が社からも2名。T君とW君が参加。二人とも元気で張り切っており、大変に頼もしい。
長い社会人生活、頑張ってほしいものだ。

将来の自分の夢・目標を明確にして、それに対する対策を書いていく時間も多く取っていたのだが、W君の3KM目標では3年後の家庭での子どもについて「まだ早い」、対策として「つける」と書いており大爆笑。
面白い新人で将来楽しみだ。

2010年3月28日日曜日

ふくやまマラソン 地獄を見た!

3月22日のふくやまマラソンでハーフに参加してきた。
トレーニング皆無、体重過去最高値、先週からののど風邪・発熱という三重苦の中、心は完全に「棄権」に傾いていたのだが、子どもの3kmの走りを見ていて生来の「お調子者気分」に火がついてしまった。
会社のW君、そして新卒入社のもう1人のW君に内緒でスタートラインに着き、直前で参加を告げてびっくりさせた。
そしてスタート。この日はとんでもない強風で川上から激しい風が吹き付けてくる。ならば川下に向かうときには追い風になって楽かといえばそうでもない。トレーニング皆無・過去最高の体重がすぐにきしみをあげる。スタートからわずか2km地点で左くるぶしが、更にしばらくすると右くるぶしが、続いて左ひざ、右ひざと次々に痛みが襲ってくる。ようやく河口付近を一周してスタート地点に戻ってきたときには本気で「途中棄権」を考えたが、ここまでくれば意地だというわけで走りつづけたが、中間点ですでに1時間数分経過、おととしの時には一時間を切っていたのだから相当の遅れだ。それでも懸命に走り続けたが、後半の箕沖の上りでひざがついにダウン。体重を支えきれなくなって激痛が走ったのだ。そこからは少し走って長く歩いての繰り返し。
屈辱的なことに、ラスト3kmで時間オーバーで失格となった。後片付けの進む中、何とか2時間40分あまりでゴール。準備不足は自分のせいだが、意思の力で完走(最後はほとんど歩きだったが)した自分を誉めてあげたい。
事前に走りこみをしていたW君は2時間28分でギリギリ完走。新人W君はわしと肩を組みながらゴール。
強風で顔の汗が乾燥して、顔面全体に塩が吹いていた。その量もはんぱではない、料理一人前程度ならできそうなくらいの塩である。
おそろしやハーフマラソン。
しかし、たまにやる「限界越え」。これって本当に良いものである。

2010年3月12日金曜日

わしってうつ病だったの?

水曜日の午後から関節が重く、喉も痛い、体温を測ったら熱があったので早退。翌朝病院に行ったら扁桃腺に膿がびっしりついているという。薬のおかげですぐに体温は下がったが、無理は禁物というわけで昨日、今日と会社を休むこととした。
休むといってもダラダラ過ごすのももったいないので、読書三昧とした。
この三日で読んだ本は、
安岡正篤「論語の活学」
朝倉慶「裏読み日本経済 ~本当は何が起きているのか~」
喜多川泰「手紙屋 ~僕の就職活動を変えた十通の手紙~」
清水克衛「「ブッダを読む人」は、なぜ繁盛してしまうのか」
小西浩文「生き残る技術 -無酸素登頂トップクライマーの限界を超える極意」
鳥居祐一「スピード・ブランディング」
本田直之「レバレッジ時間術」
小宮一慶「ビジネスマンのための「読書力」養成講座」
の計8冊。
間にDVDで「プロが教える成長株と勝ち組株の見抜き方」を見たりもした。
続けて今読んでいるのが、
P・F・ドラッカー「エッセンシャル版 マネジメント」
森信三「修身教授録 ~現代に甦る人間学の要諦」
などという結構固いものであるが、このような固いものをじっくり咀嚼しながら読むというのは頭にも良いような気がしている。


ところで、病院は近所のT胃腸科内科に行ったのだが、診察中にカルテを何気なく見ていると「H12.12.18 うつ病」と書いてあった。
えっ?わしってうつ病だったの?と驚いたが、よく考えてみてもそのような記憶はない。これは一体どういうことであろうか。
大体、この病院には二三年に一度風邪やらインフルやらで行くくらいで、精神的に参ったなどという理由で行ったことなどない。というか、そのような状態になったこともないのである。
されば何故?謎は深まる。

2010年3月3日水曜日

マウンテンバイク朝練

抜釘手術から3週間、完全復活ということで、今日は朝6時から山手に朝練に行ってきた。山手のファミマでサカイさんと合流。よっしーと3人だが、登りになるとどんどん遅れる。体が全然ついていかない。肺が苦しい、痰だけがやたらに出る、苦しいよーと思っているときにふと見ると、見事な朝日が!


少し元気になって上っていく。
疲れきって萱野山のハンググライダーの離陸場に着くが、素晴らしい眺望だ。疲れが吹き飛んだ。
標高は269m。


下りはほとんど林道だったが、週末の雨の影響か、ぬかるみまくっており、下るのには苦労した。もっとも、ぬかるんでなくとも、怪我でチキンになっておるわ、もともとテクはないわで、あまり変わりはなかったのだろうが、十回以上押して歩いたのが少しは減ったかな。
徐々に慣らして、チキンを治し、テクを磨いて、下まで歩かずに乗り切ってみたいものだ。

8時過ぎに帰宅。ここから仕事だが、朝練は一日を2倍に使えたようで得した気分になるし、気分は爽快だし、これは良いではないか。

サカイさん、よっしー、ありがとさんでした。

2010年3月2日火曜日

読売テレビで撮影

昨日は大阪の読売テレビで通販番組の撮影だった。
春の特番スペシャルということでメンバーも豪華で、吉本新喜劇の「こめんやしておくれやしてごめんやっしゃー」で有名な末成由美さんが右隣に座り、左隣にはケツカッチンの和泉修さんと高山トモヒロさん、さらにその横には西川きよしの娘である西川かの子さんが座るっているというなかなかの顔ぶれである。
皆さん、良い人で、撮影の合間には「この豆、旨過ぎるわ」だの、「大阪ではどこで売ってるの」だの、「このチップス驚きやわ」などと、話しかけてくれるので緊張もなく撮影ができた。途中でも、修さんが西川さんをいじったりして、どこまでもお笑いモードなのが面白かった。
仕事とはいえ、このような体験ができるのはありがたいことである。


これはスタジオの撮影風景
そして、となりでは「ミヤネ屋」が生放送。宮根さんの楽屋もすぐ隣に。


2010年3月1日月曜日

牟田学「社長業 実務と戦略」

今日は大阪読売テレビで通販番組の撮影だった。行き帰りの新幹線で表題の本を読了した。気になる部分に赤線を引き、抜き出してみた。


業績向上に直結したところに手を打たなければ、売上利益は決して増大できない。
赤字に泣いていながら、すぐ管理体制の改善や確立をしようとする社長が多い。的外れなこともはなはだしい。
会社の規則とか、制度や管理体制をいじっても、そんなことで大幅に売上や利益が伸びるはずがない。

売上こそ繁栄のすべての根幹である。

成長とは、<お客様を増やすこと>である。この重大事が分かっていない社長が多い。
成長とは、一言で表現すれば<お客様を増やすこと>である。この重大事が分かっていない。
私は、会社へ招かれたら、まず「昨年と比べて、お客様の数が増えたかどうか」を質問することにしている。

一体何が自分の会社で「一番大切なこと」なのか、それを考えて、磨かなければならない。
一体何が自分の会社で一番大切なのか、分かっていない人が多い。

質を高める経営とは、「単位当たり」を強く追求する経営のことである。
質とは、「単位当たり」を強く追求する経営のことである。

販売ネットを先に決めて、新商品をネットに合わせて作る方が、成功の確率が高い。
成功するためには、販売ネットを先に決めて、その店頭や倉庫に行って、今、どれが売れ筋か調査し、売れているものより品質やデザインや値段や機能性が優れたものを開発するという思想こそ大事なのだ。販売ネットを先に決めて、商品をネットに合わせて作る方が、成功の確率も、継続性も、はるかに高いのだ。忘れないことだ。

義理を欠かせないこと。義理は世渡りの掟、情の掟である。
情は理屈では測れない。義理人情というが、義理は世渡りの掟、情の掟である。上手に、間違いなく世を渡るためには「顔を立てる」「よく根回しをする」「相手の状況を判断する」「人前で行わない」…こういう戒めが大事である。

儲けさせてくれない得意先を、新規の儲けさせてくれる得意先と入れ替えて、質の充実を計る。
新規得意先の開拓も、ヒット商品の開発も、新規事業への参入ですら、売上の増大という目的の他に、質の充実を計るために行い続けるものである。

大切なことは、事態の予測ではなく、その事態に、取って置きの手を、打てるか打てないか、ということである。
これが最重要な課題である。
社長でも、役員でも、部門長であっても、ピンチに弱い者はリーダーとしても資格がない。

社長業の実務で一番大切なことは、社長の「考え方」を社員の隅々にまで遺伝させることである。
その便利な道具こそ事業発展計画書である。

多くの信用失墜の因は自己の側にある。即座に正す。言い訳を一切しない。鈍感な経営をしない。

厳しい状況に対応して業績を上げるためには、まず、一人ひとりを強くすることが基本である。
日報には、営業マンが訪れたお得意先にライバルが来ていたら、そのライバルが、どんな商品や売り物を持ち込んだか、値段はいくらだったのか、サービスはどうだったか、それに対して、お客様の対応はどうだったか…を書かせるべきである。

事業は、いつでも、市場が満杯状態で、競争が激しくなることを前提に戦略を立て、油断しないことが肝腎だ。
景気がいい、フォローの風だ、新商品が大ヒットだ、仕事が努力もしないで舞い込んでくる…こういう状況こそ危ないのだ。全員、油断をしないことが肝腎だ。

教えすぎて、考えることをさせなければ、人は育たない。

この難しい時代でも、元気が良い会社は、社長を筆頭に全社員がカネの臭いを強烈にさせている。
事業経営は、ボランティアではない。「儲けてなんぼ」の世界であることを、社長は片時も忘れないでほしい。
資本主義を選択し、そこに生き続ける限り、金儲けが下手な人間は、存在そのもの「劣等」だと言われても仕方がない。

「自分は運が強い」と信念すれば、必ず、強運を呼び込み、物事はその通りになって成就する。
人生は、自分が想念した通りにしかならない。死すべき境涯さえも、信念によって変えられる。

2010年2月27日土曜日

嘔吐下痢症

昨日から激しい下痢に襲われている。数日前、次女が嘔吐し、昨夜は息子が嘔吐と下痢に苦しんでいたから、これははやりの嘔吐下痢症ではないだろうか。
それにしても、一日十数回トイレに入っていると、仕事どころではない。歩くのもフラフラものである。しかし、今日は小学校で球技大会がある。3月に卒業する長女たち6年生とその父兄たちとの真剣勝負だ。
うんこを漏らさぬように頑張ってみよう。

2010年1月20日水曜日

広島ホームテレビ「イチオシ。」取材

昼前から、広島ホームテレビ「イチオシ。」の取材。
豆徳本店の節分の取材なのだ。当初は私が登場する予定だったのだが、折角だから店の渡辺さんにいろいろ口実を作って登場いただくこととした。目立つのが嫌いな渡辺さんは、「本当は出たくないのに、専務のワナだ罠だ」と寸前まで抵抗していたが、撮影が始まればMCの渡部さん(渡辺と渡部でダブルワタナベだった)の引き出し方も上手だったのか、何の緊張感もなく話していたのだから、立派なものだ。
MCの渡部さんはとても愉快な人で、鬼の格好をしたまま、待機時間にはバカ話で盛り上がってしまった。
それにしてもこういったロケは流れる時間はわずかでも撮影にかかる時間は莫大で、特に商品撮影は大変である。
渡部さんとスタッフの皆さまありが豆ございました。それに、渡辺さんもお疲れ様でした。
放映日時は、1月29日(金)朝9:55~

2010年1月18日月曜日

今度は愛妻家?、いえいえ毎日愛妻家です

昨日、妻と今話題の「今度は愛妻家」を見に行った。休日に妻と二人で映画を見に行く…この行為そのものが私が愛妻家だということを表しているわけだが、それはともあれこの映画、良い映画であった。
映画的な趣向としては、「猟奇的な彼女」と「僕の彼女を紹介します」の連結や、「シックスセンス」の設定には及びもつかず、冒頭の神社のシーンで状況の把握はできてしまったが、それとは関係なく、しみじみと心に響く映画だった。
わしなど、最初に書いたように「今度は」と言わなくても、自他ともに認める愛妻家なわけだが、やはり自分の気持ちというものはちゃんと伝えておかなければならないよなと思った。
朝の連ドラなどでも多いときには15分間に5~6回泣いてしまうほどの虚構世界の泣き上戸であるので、映画が終わった後出られないほど泣いてボロボロになっているのではないかと心配していたが、そこまでではなかった。これは「この映画、まだ最後に何かしら仕掛けがしてあるのでは」と身構えていたからだが、これがなければ危なかったかもしれない。
映画は神辺のリーガルエイトで観たのだが、ほぼ8割の入りであり、しかもそのほとんどが熟年以上のカップルであった。こんな映画もそうそうないであろう。

2010年1月13日水曜日

手術日決まる!

とうとうその日が近づいてきた。来月の10日である。一昨年のMTB大転倒で折った鎖骨のプレートの摘出手術日である。何しろ鎖骨が数個に分解し、それをプレートと6本のネジで留めていたのだが、骨も完全にくっついたようで、そろそろ取り外してもいいだろうということになったのだ。
手術ということになると、全身麻酔か局所麻酔のどちらかで、ということになるわけだが、迷った末に結局局所麻酔を選ぶこととした。固定の際の手術はもちろん全身麻酔だったわけだが、どうせならまだ体験したことがない局所麻酔を選ぶ方が「鎖骨骨折を存分に味わいつくす」という観点からは面白いと思ったのだ。
局所麻酔だと、もちろん意識はしっかりしているからネジをギリギリ回していく感覚もはっきりわかるらしいし、骨の芯までは麻酔が効かないので少々痛いともいう。どんな痛みなのだろうか、ネジを回す振動はどのくらいのものなのだろうか。
今からドキドキしてしまう。楽しみである。

2010年1月6日水曜日

仕事始め

昨日は仕事始めであった。
それで興奮したのか、2時半頃から目が覚めて眠れなかった。しばらく、ベッドの中でぐずぐずしていたのだが、眠れそうにないので4時半に事務所に降りて今年の目標の工程表を作ることにした。
マンダラ手帳を参考にして立てた8項目の目標(健康、仕事、経済、家庭、社会、人格、学習、遊び)に対して、まず第一四半期での進捗目標を立てていった。次に、その中でも仕事についてはより詳細に各月・各担当まで落とし込んだ進捗計画を作り上げていく。計画が立つと頭がすっきりとするし、何より安心するのだ。
本来なら、昨年末に今年の計画を立てるのが正しいのだろうが、今回の年末年始はきっちり休むことにして、仕事のことは極力頭に浮かべないようにしていたのだ。
こうやって書き出していくのは単純だが、本当に優れた方法である。たまに仕事をたくさん抱え込んでしまったときには、「やらなければならないこと」を全て付箋紙に一枚ずつ書き出して、それを「本日しなければならないこと」と「明日以降でいいこと」、「自分しかできないこと」と「指示して部下にさせることができること」などの項目に振り分けていく。これをそれぞれのカテゴリー(「自分しかできないことで今日中にしなければならないこと」などの4つのグループになる)に分けて、それぞれに優先順位をつけていく。こうすると、「大丈夫かよ、これこなせるのかな」という状態に見えても、実はそれほどでもないことがわかって、能率よく処理していけるのである。
と、このようにして今年の目標と進捗計画が作成されたわけだが、何を隠そう、わたしは計画作成の名人であり、子どものときには夏休みの計画をひと夏に二十数回作っていたのだ。というわけでこの計画、いかに作り直しせずにすむかが、一番の課題である。

2010年1月5日火曜日

昨年の話にはなるけども

昨年の話ではあるが、クリスマスの日に今回も本物のサンタクロースがやってきた。どうして本物だってわかるかって? だって英語でしゃべるのだもの。今回は前回と違い、よくしゃべることしゃべること。おしゃべりなサンタクロースであった。とはいいながら、私は下の事務所で仕事をしていたので直接は会っていないのだ。
英語で話しかけるものの、発音が悪いのか通訳をするはずの妻にも聞き取れないことが多く、もちろん子どもたちなど話しかけれられても、びっくりして逃げ回るのでコミュニケーションには散々苦労した(サンタさんが、である)。
途中、小学3年の次女が服の下に着ていたジャンバーがパパのものだというので、「あっ、このサンタさんはパパだ」と言った瞬間には驚いたが(もちろん、サンタさんが驚いた、らしいのであるが)、後から衣裳部屋でサンタさんが着ていたジャンバーがかかっていることを次女に見せて、「似ているジャンバーだったんだね」ということになって一安心であったのだが、その裏でジャンバーが始めから衣裳部屋にあったというアリバイを成立させるためのドタバタがあったとかなかったとか、ともあれ「神は細部に宿る」、詰めは大切なのだ。
最後にサンタさんは、子どもたちに「わたしは今からバングラディシュに行く。あそこは貧しい子どもたちが多いからね。君たちは良いパパとママをもって幸せだよ。こんな演出も好きでやってくれるのだからね。両親を大切にしなさいよ」と言ったような(というか、つもりな)のだが、英語だからもちろんわからないか。
このサンタさんの優しそうな顔を見てみてください。

なんか、メイクしているような…